映画『少女☆歌劇 レヴュースタァライト 再生産総集編 ロンド・ロンド・ロンド』を観ました - 感想 - 繰り返すこと

アニメ『少女☆歌劇レヴュースタァライト』の劇場版、ロンド・ロンド・ロンドを観てきました。
(以下の感想にはテレビ版と劇場版のネタバレを含みます)



ネタバレ含みますと但し書きしておいてぼかした言い方するのも意味は薄い気がするんですけど、おおざっぱにロンドロンドロンドについて述べると、「一年生の時の文化祭でやった舞台が楽しかったから二年生になりたくなくて、一年生の時の文化祭を繰り返すことを選んで時間のループを続けていた人の視点から見た、テレビ版の総集編」でした。誤解と言い間違いがあると思う。ところどころに注意深く見ないと気付ききれない細かい変更点があってどうやら時間軸がテレビ版と違うらしいので。

繰り返していた人は過去の舞台で味わった高揚と充実感に固執して、未来の舞台での変化を恐れてずっと同じ時間の中で過去の舞台の再演を望んでいたわけだけど、結局は何度繰り返してもその再演の舞台に満足することはできず、最初の舞台の時に感じた「まぶしさ」に届かないまま、結局は自分でも少しずつ舞台に変化を加えている、という内容があるんですよ。で、この作品は演劇・舞台モノなんですけど、映画の媒体でテレビ版の総集編という「再演」の形で世に出てるわけじゃないですか。そもそも映画自体が演劇・舞台の再演を映像記録によって可能にしたものだという点も含めて、限りなく映画は舞台の「再演」の装置である。そしてテレビアニメとして放送された作品を総集編として映画として上映するのも再演。その中で描かれている話も再演の物語。でも完全な再演じゃなくて変化がある。これが……こういったメディアミックスだったり、実際の舞台とアニメと映画で織り成される作品構造そのものが全部噛み合ってるのがすごいな、と。私は今回ロンドロンドロンドを観て初めてそこに思い至ったんですけど、たぶんレヴュースタァライトのファンの人たちはこのテーマを散々論じてきてるんですよね。私はテレビアニメ版を一回通して観て面白いな~と思ってただけで全然そこらへん考えることができていなかったのを、再生産総集編を観たことで気付けたので、余計に「再演」の意義と繰り返すことの意味を強く感じました。レヴュースタァライトって作品めちゃくちゃすごくない???すごそう~とは思ってたけど……すごかった。

それによって私がレヴュースタァライトについて感じていたことで何が大きく変わったか、の話に変わります。
件の、時間のループを作り出していた人の、繰り返していた時間を、テレビアニメ版を観たときは虚しい行為や成長の拒否だと安易に感じてたんですよ。先に進むのが怖いのと、過去を愛しすぎているだけ、繰り返す時間の中で仲間たちに対して過保護すぎるあまりにあらゆる不幸を遠ざけすぎているだけなんだと。今回ロンドロンドロンドを観たら、そうじゃない、この時間の繰り返しは虚無じゃなくて、ちゃんと彼女を成長させているんだ、と解釈が変わった。普通は体験することのない時間の繰り返しの中で強く成長するキャラクター、っていうのはタイムリープものではよくあるものだけど(例えば『Life is Strange』のマックスとか)、今作ロンドロンドロンドだと彼女は超越的な視点に立っている描写が追加されていて、ただ時間を繰り返しただけじゃなく、積み重ねた時間の中で仲間たちのことを見守り続けたことで母や神のような精神的状態にかなり近くなっている。一年生の時は演者だったけど二年生の時は裏方に回るつもりでいた、ということや脚本に携わる立場になっている、という要素と同時に、この舞台や作品の外から俯瞰する存在になりつつあって、それは超常的な力とかではなく彼女の成長によって獲得したものなんだと感じた。その成長の糧になったのは時間を繰り返したことで、未来を拒絶することで成長しているというギャップが面白い。

あとは……他のキャラクターの話になりますが、主人公に対して変わってほしくないと固執していたキャラクターも、時間の繰り返しを選んだ彼女と同じように、変化を恐れている、今までを繰り返したい、と望んでいた点で近しいものがあるんだと理解できた。誰だって変化には戸惑うし、同じことの繰り返しから抜け出して変わっていくことを選ぶのは怖いんだよな、これは普遍的な問題なんだよな……って。

ネタバレ含む感想と但し書きしたのにキャラクター名を出すことに何か怯えがあってキャラ名が出せないからめちゃくちゃ感想が書きづらい!!!一応作品未見の人でも要点が伝わる文章にしつつ、これ読んだあとでテレビアニメ版を観ても大丈夫なようにしたいけど大きめのネタバレ自体はしてるし手落ちな気がする。キャラ名出しちゃお。

石動双葉と花柳香子のエピソードの理解も総集編を観たことで変わった。香子が成長せずにいたことに対して双葉が檄を飛ばして香子が変わる、というような浅い理解だったけど、あー全然違うわ、双葉が「叩き直してやる!」と叫んで香子に斬りかかるとき、本当に叩き直してるのは双葉自身なんだ、と。双葉は香子に対して期待をかけながらそれを言葉にしていなかったことや、香子を支えようとしてむしろ甘やかしてしまっていたこと、香子が停滞する原因に双葉自身がなってしまっていたこと、への自覚があって、だから双葉は香子に変わってもらうために自身も変えるべく戦いを挑んでいる。共依存と呼べる関係とはちょっと違うかもしれないけど、なれ合いになってしまっていた二人が信頼を築き直す、という話だったんだ。

一度テレビアニメ版を観たから総集編は別にいいか……と思ってしまっていて観るのが遅くなったけど、観てよかったな、繰り返すことで新しい発見あるし、しかも単なる繰り返しじゃなくてちゃんと変化はあるんだよなーと。感想の再生産も大事じゃね?と思ったら、今まで観てきたものを再び観ることに対しての「いやでも一度見てるからいいや、他のまだ観てないものを観る時間のほうが大事だし」と何か再鑑賞を軽視していた腰の重さとかネガティブな価値観が良い感じに晴れた気がする。未だ見ぬものに触れることの大切さは重々承知な上で!

繰り返すことと変わることは繋がってる。