6月の記録 なんとか乗り切った

 6月が終わりました。4月から始まった学校生活は3ヶ月経過。1年の4分の1がもう過ぎたという実感が全くない。毎日朝起きて電車に飛び乗るので必死だった。なんとか3ヶ月間は無遅刻無欠席を達成。体調不良で早退した日はあったけど……今のところはよくやったと思う。

単位計算して休んでいい日数は休む、みたいな器用な真似が自分にはできそうになくて、1日休むと「休んでいい余裕を1日分削ってしまった」とネガティヴに捉えてどんどん精神的に追い詰められるんじゃないか、という強迫観念があって休めなかった。1日くらい大丈夫でしょと思えるようになりたい。あと今かなり経済的に家が厳しい状態で、唯一の収入が私が校に通うことで得ている給付なので、1日休むとその分の収入が減るから、それは厳しいし出られる日数はフルで出とかないとな……と責任感を覚えていて、それが追い詰められ感の原因でもあり頑張れる理由でもあり……という感じでした。

将来的に自分の収入だけで家族が暮らしていくようになったときにはどんなに苦しくても調子が悪くても休めないし(無理なく生活するためには配慮を得られる職場で適度に休憩しつつ働けるようにすればいいんだけど、それだと収入が足りなさそう)収入のために動けるようになっておかないといけないわけで、それの予行演習と思えば全然いいか〜という気持ちも芽生えた。今の状況なら未だそこまで負荷が重くないし。負荷が重くない状況を重く感じてしまうのが私の鬱病だったり強迫観念だったりするんですけど。でもそういう精神状態と実際の状況の照らし合わせだったり情動や体調のコントロールを下手なりに頑張ってやってみて、周囲の助けも得てなんとか3ヶ月間は過ごせました。

就職相談の個別面談で「いま学んでることと全然関係ない一般事務での就労って視野に入れてる?」と聞かれて、……せっかく学んだ専門性を活かせる仕事以外に就きたくねえ……と強く思ったらなんか意欲が一時的に削げてしまって6月の21日から25日まで心身ともに完全に潰れていた。授業中に鬱の波がドバドバ押し寄せてきて、普段からストレスに感じていた物事すべてへの苛立ちが増幅した。

少し前から、母が陰謀論にハマっちゃってYouTubeで馬の骨が垂れ流してる話を聞き齧って胡乱なことを口走るようになって、それが凄まじい苦痛だったので、時に反論したり、そういった動画を観るのを止めるように主張したり、もしくは疲れ果てて何も言う気が起きずに放っておいたりしていたんですが、放っておいた間にどんどん母がデマに蝕まれていく感覚が辛くて、それを我慢し続けるのも限界だったので、正直に「そういった誤情報の動画を家の中で垂れ流されるのは苦痛だからやめてほしい。主張している内容への反論にも耳を貸してくれないのが、意思の疎通ができなくなったようでつらい」という旨を丁寧に時間をかけて説明して、これまでも似たような事は何度か話し合ってきたんだけど、今回ようやく少し実りのある話し合いが出来た。自分の鬱が悪化している原因の大きな一つが、世の風潮としての専門知の軽視や、間違ったセンセーショナルな情報に流されてしまう人の一人に自分の家族がなってしまったことである、というのを柔らかく伝えて、内容や主張はこの際どうでもよくて、ただ私が疲れ果てていて自殺寸前の時に負荷を掛けているのは貴方だったり、貴方のことも私のことも一切なにも関知していないどこかの無責任なインフルエンサーの胡乱な言説によって貴方は家庭内にあらゆる悲惨な出来事の種を蒔いていることを自覚しておけだとか、卑怯だとは分かっているけれど自分の命を俎上に乗せざるを得なくて(そして実際に私は自殺を考え続けているので俎上には乗っている)、いやもう書いててよくわからなくなってきた。とにかく疲れてるから勘弁してくれと伝え続けた。

例え話をするなら、今まで避暑地の別荘で静かに暮らしていたら、急に高速道路の下のあばら家に押し込まれ、そのあばら家の前では毎日のように選挙カーとデモと道路工事が繰り広げられているような、そんな気分であることをはっきり言った。気が滅入るとかを通り越していた。その状況をなんとか少し解決できたので心の荷は大分降りたように思う。降ろす作業が大変だった。今も後遺症を引きずっている。

 

運動不足と睡眠不足と遊びやゆとりのなさがあって、疲れが中々とれない。睡眠薬なしで寝れなくなってから5ヶ月ほど経過した。睡眠薬をあまり長期間は連用しないほうが良いことは分かっているのだけど、飲まないと寝れないことへの不安が強すぎて依存も強まっている。睡眠薬の副作用の倦怠感も出始めているように思う。夜眠れるように、昼にできるだけ運動しようと昼食後の散歩を始めた。早めに食べ終わらないと休み時間が足りず散歩の時間が取れないので、以前より食べるのが早くなった。食べるのが遅いことは自覚していたけれど、ゆっくり食べることで消化の良さや精神的な余裕を作り出していたのが長年の習慣だったので、どうしても急いで食べることに対して焦りや疲れが出てしまう。

 

急ぐことや時間の制約に強いストレスを感じる性質はあまり変わりそうにないなと思う。遅刻するとむしろ安心したり精神的な余裕が生まれるような心の動きがある。遅刻しないように行動するのは苦しい。自分がもしルールを決めていいなら遅刻しても誰も咎められない環境を整えたい。遅刻が前提。人が先。ルールは後。

 

自転車を盗まれたのも強いストレスだった。新しい自転車を買ったけれど、また盗まれるんじゃないかと怯えながら駐輪場に停めているたびに怒りが込み上げてくる。自転車にGPSタグを仕込みたい。本当にGPSタグついてなくても「位置追跡中」って書いたシールと変なICチップっぽいものを貼っておけばヤバ・自転車として盗難を防げそうな気がする。防犯登録と馬蹄錠とロックチェーンはしたけどまだ安心できない。今度は管理人さんが常時勤務している市営の駐輪場を契約したので人の目があるから大丈夫とは思いつつ。いっそ耳なし芳一みたいにお経を自転車全体に書き込んでおこうかな。サドルにだけ書いてなくて盗まれる。それでサドル盗難防止チェーンって商売として成り立ってんのかな?何がそれなんだ。

 

楽しいことも嬉しいこともちゃんとあった。週末のたびに人の家に遊びに行ってアニメや映画を観たりした。のんびり過ごせる時間が土日にあることでなんとか持ち堪えてきた。アニメ『オッドタクシー』はすごく面白かった。久々に映画館に行けて映画『Mr.ノーバディ』を観れた。レヴュースタァライトモータルコンバットやハサウェイやJUNK HEADを観に行きたい。観に行きたい映画リストを作ろうかな。カラオケ行きたい。美術館に行きたい。7月は誕生日があるので何か欲しいものを買おうかなと考えてる。なんだかんだ毎日のように新しい課題に取り組めるのも楽しい。やることのない毎日をずっと過ごして燻っていた10年間が嘘みたいに急に生活が激変して、目が回りそうだけど、でも10年間燻ってた間に見つけた方向性で今進み始めたからこそ考えられることやできることがあって、それを少しずつ形にしていきたい。