久しぶりの冬季休暇

なんとか二学期目を終えて冬休みに入った。初日からさっそく夜更かしをしていて精神も不安定になってきて体調も悪くて波乱の予感。無理をしないように気をつけていても無理をしてしまった。

とにかくあらゆるストレスに弱いのと、興味と関心の幅と射程が広すぎて、それ故に色んなことが気になって、毎秒必ず凄まじい苦痛と違和感に襲われ続ける生活を長年続けている。変えようにも変わらない。こんなんじゃ自分が先ず苦しいし、一緒に暮らす人にとってもたまったものじゃないのは理解して自覚していて、でも自分なりにそういう自分を変容しようと努力を続けてきた。その結果がどうなったか、というと、常に自分の中に天国への門と地獄への門が全開放されている感じで、ふとした拍子に天使と悪魔の軍勢が私の中から溢れ出すんだ。本当に誇張無しに毎日がそうなんだ。自分の中の天使と悪魔の戦いが互いに大軍を率いての激突で、その間に挟まれた私が善でも悪でもない自分のエゴを弾倉にしたミニガン掃射して全員を返り討ちにして血まみれ、その血の中に憩う、そんなことを繰り返しているから、30秒後に自殺しててもおかしくないなって自覚を持ちつつ生きていて、だからそんな明日をも知れぬ身の者がふざけた言葉相手に立ち止まると思うか?粉砕してやる、喉笛に噛み付いて食いちぎってやる、怒りと憎しみが私をギリギリで生かす、愛の機能しない闇を一瞬で駆け抜けて正気に戻るために狂気には狂気を、理不尽には理不尽をぶつけてクッションにして意味のわからない苦痛から意味のわからない喜びへと大きく跳躍を遂げる。重たい鬱を患うということは不快で悲しくて寂しくて辛い地獄の中に叩き込まれて二度と這い上がれないことだって私は身をもって知っているから、これ以上の苦痛を与える者に何一つ容赦する気になれない。それでも私は赦す。壊れかけた心の片隅で憎悪の絶叫を浴びながら狂刃を止める。そのために倫理を学び続けてきた。自分自身という猛獣を飼い慣らすために付けた腕力が自分を羽交締めにして殺す。獅子に対するヘラクレスを思う。

いつもアクセルとブレーキが大量に無限に並び続けている空間の中でそれらを全部同時に踏んでるような気分。軋む音、摩擦熱、エネルギーの異常消耗、空前絶後の空回り、空中分解寸前、爆発までの秒読み、何かのきっかけをいつも探している。自分が全力で戦える相手を。壊していいものを。そしてそれは見つからない。壊していいものなどないと知っているから。

 

冬休みに入った。とにかくちゃんと休みたい。休みたい等を超えて限界をとっくに振り切って頑張りすぎた自覚がある。よく生きてるな?と自分で思う。日常生活を送れないところまで弱っていた私に生活が可能なんだということを知ることができて良い一年だった。間違いなく今までの人生で最良の最高の一年間だった。よく働いてよく学んでよく遊んだ。ただ1つ難点があるなら休むのを忘れていることだと分かる。抱え込みすぎるのを辞めて気楽に片付けていく。

 

鬱が急速に重くなってきて辛かった。傷から溢れる血のように言葉がとめどなく滴り落ちた。感情が過去形になるようにした。書くことによって頭の中に渦巻く想念を追い出した。書いた。生きた。今日までの人生を生きた。これからの人生を生きる。生活を送る。眠る。起きたらまた明日を生きていく。

毎朝自分でお弁当つくるようになって鬱がかなり軽くなった

料理のできない人とは付き合えない!と嫌われたりしてショック受けて反省して、ちゃんと料理をやろうと思い始めた。幸いなことに料理にすごい詳しく友達が居て、その人と一緒に料理ドキュメンタリー番組を一緒に観たり料理人を主人公にした映画を観たりして料理への興味が上がってきた。父が元々料理人だったこともあるし現在飲食店を経営してることもあって、本来なら私も鬱病じゃなければ厨房に立って料理覚えてもよかったし、今からだってそれは可能なんだけど、結局のところ学歴に脚を引っ張られていて調理師や管理栄養士などの資格を取ろうとすると高卒である私は未だ挑戦権すら得られない。だから放送大学で学部卒までなんとかやろうかなと思っている。

 

観た料理ドキュメンタリーは『ザ・シェフ・ショー』、

観た映画は『シェフ 三つ星フードトラックはじめました』

すごく楽しい映画だったし面白いドキュメンタリー。賞味期限切れの粉でお菓子つくってから「期限切れの味がする……」って狼狽えてるジョン・ファブロー監督が面白すぎて爆笑してた。料理人のロイ・チョイも笑ってた。

 

ロイ・チョイの腕に入ってるタトゥーが映画『ワイルド・アット・ハート』のロゴっぽいデザインだったから、たぶんロイチョイはあの映画好きなんだろうな〜と話題に出して、それで友達と一緒にワイルドアットハートを観た。

残酷な世界の中で恋人たちだけがピュアで、親と探偵と殺し屋の追跡を振り切って愛のために逃げる映画。ネタバレになるけどハッピーエンド。マジでこんなにピュアな映画もそうそうないぜ!?ってくらい熱くて、悪役も怖さがピカイチで、たびたび登場する交通事故のシーンも印象的で、世界は常に死と暴力に溢れてることを否応なしに思い知らされる。殴られたら人間の頭から脳みそハミ出ちゃうし、暴力っていつも突然だし、罪には報いがあるし、でもそんな世界の中に主人公たちの愛は純粋に輝いている。

暴発するショットガンで頭ふっとんで死ぬ強盗も、死ぬ前に良いことを主人公たちに教えてくれた。生きていくには金が要る。お前たちは親になるならば危ない橋を渡らなければいけない。お前たちはもう無責任な子供じゃない。

おめでたなんだろ?金が要るだろ?いい話があるぜ。

うまい話に見せかけて人を騙す最大のテクニックは相手の困り事を解決してやれる友人のフリをして近付くことなんだ。それも映画ワイルドアットハートから学べる。映画は教材じゃない、って信念があるけど、私にとって映画はいつも鮮烈な教科書や聖書として機能する。

 

話が逸れたので本筋に戻ると、料理の話。

自分で自分のために料理をすることが自己愛の原則、と知識では知っていたけど、実践できたのは、つい最近のことだった。

人間としての機能を私は回復する。

自炊って本当にすごくて、だって自分の食べたいものを自分で作れちゃうんですよ?やばくないですか?

元からお菓子作るの好きで、アップルパイ焼いたり、いちごのブールドネージュ作ったりしてたんだけど、毎日の暮らしに必要な食事を料理するのはからきしダメで、上手く作れる料理はフレンチトーストとレバーの生姜煮だけだった。謎のチョイス。この二品だけ作れることを人に話すと「もしかしてサイコパスに育てられた?」って言われて笑い話になるんだけど、実際うちの親は相当な変人だし、私もそうだし、なんかバランスを欠いてて特化し続ける方向でだけ生きてきた気がする。

毎朝のお弁当作りってすげー大変で、だからひたすら簡単で楽に短時間で用意できるように手際よく料理する必要あって、そのために最近ガントチャートを書き始めた。やっぱり先人の知恵って利用するべきなんだと思った。自分でがんばる必要なんかひとつもなくて、既に世界には便利なシステムが溢れてる。

だって生活ってめんどくせーじゃん。いちいち朝から唐揚げなんか作れるわけがない。冷凍食品を凍ったままお弁当箱に突っ込んで学校の電子レンジで温めても良い時代。ビバ文明。マジ先人に感謝。

 

結論。

毎朝早起きしてお弁当つくると、楽をする方法を覚えられる。これは自分の生活すべてに適用可能なメソッドに変わる。必要なものだけ詰め込んで出かければいい。要らないものは置いていけ。お弁当箱が俺に語りかける。そんなに入らねえよバカ!俺は返事する。でもすぐにお腹空くんだよな。お弁当箱をふたつに増やしたって二段にしたっていいんだ。なんならコンビニでお弁当買えるじゃん?楽をするためのあらゆる手段を生活に取り込んでちゃぶ台ひっくり返していく。

 

道なき道なんかじゃなく既に誰かの歩いた道を歩いて、

楽をしながら生きていく。

 

鬼滅の刃ってブラック企業に限界ビジネスパーソンが立ち向かう話だから面白い

十二鬼月って完全にブラック企業だしトップはカリスマだけでパワハラ・サイコだし、立ち向かう鬼殺隊もトップが家族巻きこんで自爆する聖戦テロリスト集団だし、主人公は熱が出てる時のほうがむしろ調子いい!って働き続ける限界ビジネスパーソンだし、

本当にそういうところが全部めちゃくちゃエンターテイメントとして昇華されてて面白かった。

キャラクターみんな魅力的だったしノンストップで戦い続けててすごかった。ドラマとキャラクターの融合。ネタバレになるけどラスボスが孤独に苦しんでいて主人公に拒絶されるラストシーンも本当に良かった。

ブラック企業の社長が「さみしい たすけて」と助けを求めてきたら限界ビジネスパーソンの主人公が「そうだね〜」と言いながら見送るのがラストシーンの少年漫画ってすごくないですか?

歴代ジャンプ作品の中で唯一無二の終わり方だったと思う。

アニメ2期のOPめちゃくちゃかっこよくない!?劇場版アニメの質感……

デスノートは心に一冊あればいい

少年のナイフは心に一本あればいい、みたいなもので、悪意と憎しみとか怒りって、世で思われるような悪いモノじゃないと私は思う。

人間に愛が必要なのと同じように、いつだって愛の裏側にへばりついて蠢く憎悪を、ちゃんと自分自身で尊重してあげるのは大切なんだ。

憎悪だって自分の一部なのだから。

だから心にデスノートを持とう。

赦せないやつらを逆説的に赦すために。

どうして自分が傷ついたのか、どうして相手は私を傷つけたのか、どうして私は相手を傷つけたのか。

喧嘩したとき、事件や事故が起きたとき、病気になったとき、人が亡くなったとき、誰かが誰かを殺してしまったとき、

いつだって愛を込めてデスノートを書こう。

いつどんなふうに人を死なせたいか?のデザインは、いつどこまでその人に生きていてほしいか?を決めるデザインでもある。

だから愛の裏側に憎しみがあるって、そういうことなんだ。

お互いに支え合って愛憎は軸を作っている。

熱が出た

37.2℃。おそらく知恵熱、

症状は発熱と倦怠感と吐き気。

咳や鼻水はなし。味覚、嗅覚は正常。

精神不安定。PTSD再発。

食事が喉を通らない。

怒りすぎが原因だとは思うけれど最近ずっと体調が悪いので万が一を鑑みて早退するべきかもしれない。

悪役やラスボスや真犯人や連続殺人鬼のセリフを考えるのが好き

よく自分で色んな悪いキャラクターのセリフを書き出して、それを自分で読み上げて遊んでいます。

昔から悪が好きで、なぜならば、悪には悪に堕ちる理由があり、その信念に私は強く共感するから。

そして何より悪役のセリフはかっこいい。常軌を逸していて、カリスマ性があり、美しく恐ろしい。

人生の悲哀を詰め込んで爆ぜるキャラクターの最期の言葉や身振り手振りが本当に好き。

上手く生きることができなかった人、人を殺めてしまった人、復讐に身をやつした人、愛ゆえに狂ってしまった人。

創作物だけじゃなく現実にも苦しんでおかしくなってしまった人はたくさん居て、実際そうなった人に放火されて家財一式が焼けたことがあるんですけど、そういう実体験を込みにして、私は苦しんでいる人に対して優しくありたいと常に思う。

優しくありたいけれど、私は、私の愛する人に危害を加える存在を決して赦すことができない。

私の家に放火した犯人は統合失調症で、だから無罪放免とまでは行かずとも収監はされず精神病院行きになった。いつ出てくるのか、まだ生きてるのか、もう世の中を歩いているのか、何もこちらには知らされていない。怖いんだ。

私はひとつ決めていることがある。

あの犯人と道で出会ったら、その瞬間に、私は、私と家族を守るために、あいつを地獄に落とす。

でも統合失調症に至るまでの彼の人生の苦しみには同情する。だからせめて一瞬でケリを付ける。敬意を。怒りを。愛を。私は一撃に込める。

そう思って殺意を漲らせて生きていくことに最近疲れ果てていて、だから私は悪役のセリフを幾つも考える。

自分の中の復讐心と義憤を、暴走する怒りを、愛を、言葉と声に変えて表現する。芸術が人間に必要な理由なんて私にはわからない。

 

でも私には確かに芸術が全て必要だ。私は私の心を守るために、悪鬼羅刹を演技する。ストレスの発散。

 

愛する娘を猟奇殺人犯に殺された父親の役を。

恋人を失って闇に落ちた魔法使いを。

星を砕く魔王を。

いじめられて狂った青年を。

放火されて猫を焼き殺された人を。

迫害されて凶刃を振るう人を。

無免許飲酒運転の大学生に祖母を轢かれて祖母の介護のために人生の大切な時間を失った私を。

 

私の世界のありとあらゆる怒り。

その全てを我が身に降ろす。

 

私は怒り狂っている。正当な怒りと不当な怒りが入り混じる。狂気と正気の間を縫うように私は駆け抜ける。

私は長いこと自分の凶暴性を抑え込むためにひたすら倫理について学習を続けてきた。自分の人生を壊さないために。人々を私の毒牙から守るために。あらゆる残酷なアイデアを封じ込めるために。

私の怒りと憎しみが強まるたびに、私の倫理観も強くなっていった。日常生活をまともに送れないほどに膨張した感情と理性のハーモニーが常に私の脳を疲弊させる。

人は私のことをよく誤解する。私は優しい。私は良い人だ。私は穏やかだ。私は怖い。私は性格が悪い。私は苛烈だ。

 

全部ちがう。

人々は私のことなんか何ひとつわかっていない。

私はそんな形をしていない。

私は怒り狂うだけの理由を抱えてそれでも優しくなろうと努力して生き延びてきた。

 

私の教科書をゴミ箱に捨てたやつはそれを覚えてるか?

私の机にオレンジジュースをこぼして拭かずにそのまま放置したやつは?

私の教科書に焼き鳥のタレを付着させて引き出しに戻したやつは?

私を廊下で足かけて転ばせてから「自殺すんなよ」と嘲笑ったやつは?

私と喧嘩したあとに上級生を引き連れてきて集団で私をリンチしたやつは?

修学旅行で同じ班になったとき私に馬乗りになって私を殴りつけたやつは?

4歳の私にボールをぶつけて転ばせた14歳の少年は?

私に暴力と暴言をふるった極真空手の師範は?

私が鬱病であることを知っていながら精神障害者を差別する発言を私に見えるところで繰り返すアホは?

木登りして遊んでいた6歳の私に水筒を投げつけて頭に命中させて笑っていた12歳の少年は?

祖母を轢いた大学生は?

私の家に放火した犯人は?

 

私はすべて忘れたことはないよ。毎日いつも全部フラッシュバックしているんだ。悪いのはお前らだ。忘れることができない私が悪いと考えたお前はバカだ。地獄より怖いところに連れていってやる。罪について教えてやる。罰について教えてやる。

私は死後に守護霊と怨霊になろうと思って生きている。愛する人をあらゆる理不尽から守る守護霊に。あらゆる理不尽を人にもたらす者を呪う怨霊に。私の魂は星の数を超える数に分離して世界に拡散する。そんな空想が本当に楽しい。死後の世界が本当にあるなら、人に魂が本当にあるなら、私の愛と怒りは結実する。

 

そして私は死後の世界など何も信じていない。

私にできるのは毎日の生活を自分なりに送ること。

良い仕事をすること。

家族と友達と恋人を大切にすることだと理解している。

楽しむだけでいい。

生きている間だけ人は楽しむことができる。

長年、へりくだりすぎてストレスが強かった

何か頼み事をされたらその場で良い返事をしようとしてしまって、誠心誠意やろうとして、完全にキャパ超えて疲れ切ってしまった。

死ぬ前に休もうと思う。最近ずっと肩で浅く息をしてる。いま脈拍が100bpmある。椅子に座っているのに。

学校だけで精一杯なのに帰ってからも仕事してるし、人間関係のトラブルとも戦い続けたし、好きな人に好かれたくて自分なりに全力で頑張ってみたけど、かえって相手に鬱陶しく思われてしまったのではないかと思う。

友達を失った。

自分の中の大切なものに亀裂が入って二度と治らなくなる感覚に襲われ続けていて、それでも今日まで持ち堪えてきたけど、もう無理だと思う。

臨戦態勢って三日三晩が限度だろ?一年間ずっとやれるわけないじゃん!って今は本当にそう思う。もう私は自分のために生活する。

生活はカンフー、って10年以上ずっと考えてる。

自分のための生活を改めて組み直す。

俺のカンフーを俺のために積む。

映画『マリグナント』を観てすごい感銘受けて人生が逆転するくらいに衝撃があって。

自分による自分のための生活を送れないと人は壊れてしまうし人を壊してしまうんだと思った。

自分を大切にできない人は相手も大切にできない。

護身術や捕縛術に大切なことって、強さとか弱さの前に自分が怪我をしないこと、相手に怪我をさせないことで、その理念を自分は深く理解していたはずなのに、トポロジーとして適用して自分の言動をコントロールすることが全くできずにいた。

愛とトポロジーが大好きなのに。何かを経て学んだことを自分の生活のすべてに影響させて改めることに喜びを感じる性格なのに。

そういう魂で生きているのに。

 

また自分を全部作り替えようと思う。今度は自分のための自分を作る。誰かのためじゃなく。自分の人生は自分のためにある。私は自由なんだ。俺は自由なんだ。僕は自由なんだ。全ての自分が叫んでる。血液が沸騰する。すべての僕が、沸騰する。