悪役やラスボスや真犯人や連続殺人鬼のセリフを考えるのが好き
よく自分で色んな悪いキャラクターのセリフを書き出して、それを自分で読み上げて遊んでいます。
昔から悪が好きで、なぜならば、悪には悪に堕ちる理由があり、その信念に私は強く共感するから。
そして何より悪役のセリフはかっこいい。常軌を逸していて、カリスマ性があり、美しく恐ろしい。
人生の悲哀を詰め込んで爆ぜるキャラクターの最期の言葉や身振り手振りが本当に好き。
上手く生きることができなかった人、人を殺めてしまった人、復讐に身をやつした人、愛ゆえに狂ってしまった人。
創作物だけじゃなく現実にも苦しんでおかしくなってしまった人はたくさん居て、実際そうなった人に放火されて家財一式が焼けたことがあるんですけど、そういう実体験を込みにして、私は苦しんでいる人に対して優しくありたいと常に思う。
優しくありたいけれど、私は、私の愛する人に危害を加える存在を決して赦すことができない。
私の家に放火した犯人は統合失調症で、だから無罪放免とまでは行かずとも収監はされず精神病院行きになった。いつ出てくるのか、まだ生きてるのか、もう世の中を歩いているのか、何もこちらには知らされていない。怖いんだ。
私はひとつ決めていることがある。
あの犯人と道で出会ったら、その瞬間に、私は、私と家族を守るために、あいつを地獄に落とす。
でも統合失調症に至るまでの彼の人生の苦しみには同情する。だからせめて一瞬でケリを付ける。敬意を。怒りを。愛を。私は一撃に込める。
そう思って殺意を漲らせて生きていくことに最近疲れ果てていて、だから私は悪役のセリフを幾つも考える。
自分の中の復讐心と義憤を、暴走する怒りを、愛を、言葉と声に変えて表現する。芸術が人間に必要な理由なんて私にはわからない。
でも私には確かに芸術が全て必要だ。私は私の心を守るために、悪鬼羅刹を演技する。ストレスの発散。
愛する娘を猟奇殺人犯に殺された父親の役を。
恋人を失って闇に落ちた魔法使いを。
星を砕く魔王を。
いじめられて狂った青年を。
放火されて猫を焼き殺された人を。
迫害されて凶刃を振るう人を。
無免許飲酒運転の大学生に祖母を轢かれて祖母の介護のために人生の大切な時間を失った私を。
私の世界のありとあらゆる怒り。
その全てを我が身に降ろす。
私は怒り狂っている。正当な怒りと不当な怒りが入り混じる。狂気と正気の間を縫うように私は駆け抜ける。
私は長いこと自分の凶暴性を抑え込むためにひたすら倫理について学習を続けてきた。自分の人生を壊さないために。人々を私の毒牙から守るために。あらゆる残酷なアイデアを封じ込めるために。
私の怒りと憎しみが強まるたびに、私の倫理観も強くなっていった。日常生活をまともに送れないほどに膨張した感情と理性のハーモニーが常に私の脳を疲弊させる。
人は私のことをよく誤解する。私は優しい。私は良い人だ。私は穏やかだ。私は怖い。私は性格が悪い。私は苛烈だ。
全部ちがう。
人々は私のことなんか何ひとつわかっていない。
私はそんな形をしていない。
私は怒り狂うだけの理由を抱えてそれでも優しくなろうと努力して生き延びてきた。
私の教科書をゴミ箱に捨てたやつはそれを覚えてるか?
私の机にオレンジジュースをこぼして拭かずにそのまま放置したやつは?
私の教科書に焼き鳥のタレを付着させて引き出しに戻したやつは?
私を廊下で足かけて転ばせてから「自殺すんなよ」と嘲笑ったやつは?
私と喧嘩したあとに上級生を引き連れてきて集団で私をリンチしたやつは?
修学旅行で同じ班になったとき私に馬乗りになって私を殴りつけたやつは?
4歳の私にボールをぶつけて転ばせた14歳の少年は?
私に暴力と暴言をふるった極真空手の師範は?
私が鬱病であることを知っていながら精神障害者を差別する発言を私に見えるところで繰り返すアホは?
木登りして遊んでいた6歳の私に水筒を投げつけて頭に命中させて笑っていた12歳の少年は?
祖母を轢いた大学生は?
私の家に放火した犯人は?
私はすべて忘れたことはないよ。毎日いつも全部フラッシュバックしているんだ。悪いのはお前らだ。忘れることができない私が悪いと考えたお前はバカだ。地獄より怖いところに連れていってやる。罪について教えてやる。罰について教えてやる。
私は死後に守護霊と怨霊になろうと思って生きている。愛する人をあらゆる理不尽から守る守護霊に。あらゆる理不尽を人にもたらす者を呪う怨霊に。私の魂は星の数を超える数に分離して世界に拡散する。そんな空想が本当に楽しい。死後の世界が本当にあるなら、人に魂が本当にあるなら、私の愛と怒りは結実する。
そして私は死後の世界など何も信じていない。
私にできるのは毎日の生活を自分なりに送ること。
良い仕事をすること。
家族と友達と恋人を大切にすることだと理解している。
楽しむだけでいい。
生きている間だけ人は楽しむことができる。