デスノートは心に一冊あればいい

少年のナイフは心に一本あればいい、みたいなもので、悪意と憎しみとか怒りって、世で思われるような悪いモノじゃないと私は思う。

人間に愛が必要なのと同じように、いつだって愛の裏側にへばりついて蠢く憎悪を、ちゃんと自分自身で尊重してあげるのは大切なんだ。

憎悪だって自分の一部なのだから。

だから心にデスノートを持とう。

赦せないやつらを逆説的に赦すために。

どうして自分が傷ついたのか、どうして相手は私を傷つけたのか、どうして私は相手を傷つけたのか。

喧嘩したとき、事件や事故が起きたとき、病気になったとき、人が亡くなったとき、誰かが誰かを殺してしまったとき、

いつだって愛を込めてデスノートを書こう。

いつどんなふうに人を死なせたいか?のデザインは、いつどこまでその人に生きていてほしいか?を決めるデザインでもある。

だから愛の裏側に憎しみがあるって、そういうことなんだ。

お互いに支え合って愛憎は軸を作っている。