ブログ再開して二日目にして書くことが全然思いつかない

 やっぱり思うんですけど何事もブランクが空きすぎると腰が重くなる。長いことやってなかったことは急に続けられない。

 

 Twitterの話でもします。RTの使い方のこと。

あるツイートを見た人が、自分が不快に感じたり、怒ったりしたあとに、その不快に感じたツイートをRTしてから、リプライやURL引用ではなく独立したツイート形式で、文句や罵倒をする、という使い方をしていることがあって、私そういうRTの使い方すごく苦手なんですよ。もっというと、そういう、自分が好ましく思っていないことを周知したり拡散したりしてから、その話題に関して口汚く罵る人、というのがすごく苦手で、どうしてそんな不毛なことするんだろう?と疑問に思っている。

 彼らがそういうRTの使い方をする理由はいくつか考えられる。

 ひとつめの理由、自分の感じた苛立ちを人に共有してもらいたい、という共感を求める気持ち。これはよくあることなんだろうと思うのでわかります。わかりますが、品性に欠けるので好きではない。

 ふたつめの理由、自分が不快に感じたものに対して苦言を呈することで、自分のスタンスを表明している。また、そのスタンスを表明することで周囲に対して「自分はこういう人間なんだ」と自己演出をしてポーズをとっている。同じように、自分をよく見せるために、知的であることをアピールするために何かを批判する。これもわかります。わかるけどやはり悪手だと思うし、批判するならば、丁寧に上手な言葉の使い方をしてもらいたい。なによりも該当するツイートをRTせずにリプライなりURL引用なりで相手に届く形でやってほしい。相手に察知されると面倒くさそう、会話をしたくない、という怯えや自身への便宜的配慮はあるのに、周囲に不快なものをRTして見せてしまうところに、醜悪な欠落を覚える。

 

 そんな感じでした。単純化すると、私は攻撃的、恫喝的な言葉の使い方をする人が苦手なんだと思う。私自身も言葉が悪くなるときがあって、そういう汚い言葉の使い方をしたくないと折に触れて思うから、反面教師としては彼らのような「自分が嫌だと思ったものを高く掲げてみんなに見せびらかしてから文句を言う」人たちを視界に入れることで、ああ、こういう言動や話題の発生の仕方は嫌だな、と戒めにしていけばいいのかな、と。

 この話題のオチは、自分自身が何か嫌だなと感じたことを話題にしている、という、ミイラ取りがミイラになっているところです。言及しなかったものが生還者!