文字が書けなくなってきた

 文字を書こうとしたときに思うように書けず、よくわからない形の文字がそこに生まれてしまうと、強い忌避感でうわあっとペンを投げ出し机を蹴飛ばして逃げそうになる。

虫。虫が身体を這い上がってくるような、ぞわぞわとした不気味な寒気。

それは文字に、文章に、絵に、言動に、なんに対してもそうなんだけど、どうしても「違う」と感じる。拙いとか醜いとか要求する域に達してないとかを抜きにして、なんか違うんだ。指先に血や神経が通っていないような。

歩き出そうとしたときに、自然と踏み出すことができなくて、右足から先に歩けばいいのか、左足から行けばいいのか分からなくて立ちすくむような、そんな、なんで立ちすくんでいるのかが理解できないような状態にあって、「どっちだって変わらない」「考えずに動けばいい」という場合に、全く動けない。ただただ、どうすればいいのか、と青ざめている。

 

 ADHDの人が思いつきで電光石火のように次々と行動したり、自閉症(自閉症という名称だが、世界が無限に開かれているような、区切りのない認識を持っているので全開症なんじゃないかと思う)の人が一つの物事に過度に没頭するような、そういうのが私にはない。せいぜいTwitterぐらいだ。思いつきで矢継ぎ早にツイートして、長時間TLを眺めて、ぼーっとしている。なんでTwitterだけなんだろう。

 

 ADHDともアスペルガーとも自閉症とも診断されず、それらのどれでもない上に、うつ病の診断も下りなくて、あなたは健康そのものです、と判子を押されたために、自立支援医療も利用できないし、労災もおりないし、精神障害者手帳も貰えなくて、でも全くもって健康ではない、重度のうつ状態にある。

なんか、うつ状態を調べるためのテストで満点オーバーくらいをとって、これはひどい状態ですね、となったのに、うつ病じゃないことにされてるのが全く意味がわからないんだけど、じゃあ世間のうつ病認定を受けてる人たちは私よりもっとひどい状態にあって、それでも生活したり自殺したりするポテンシャルを秘めてるってことなんだろうか。怖すぎる。人間はなんて強いんだ。

 

 脳のMRIや、低髄液圧や髄液減少の検査や、色々なものを受けてきたけれど、結局なにも異常がなくて、しいていえば血糖値が異様なほどに高い以外は本当に健康そのものだった。そういう事実を突きつけられるたびに、何も悪いところがないのに働けないし学校にも行けないクズなんだお前は死ね、と言われているようで、それを再確認する不毛な作業を繰り返しているのが嫌になってきた。

働けないし学校にも行けないだけなら、まだマシで、興味や関心を持っていて、やりたくて仕方のないことでさえ、できない、という状況に長いこと置かれていて、その中で、せめて、なんでやりたいことができないのか、だけでも自分で把握して、解決していこうと試みるのだが、冒頭で話したように、強烈な違和感に襲われるだけでどうにもならない。

違う。なにが?なにもかもが。

 

「生きたくも死にたくもない」なんてふざけた文言がありふれた凡庸なものになっている昨今だけど(流行っているのは自分の中もしくは周囲の狭いコミュニティだけかもしれない)、たしかに自分もそれに近いような状態で、息をするように自然に行動できることを何一つ持たずに、「生きたくも死にたくもない、ただ絵が描きたい」と口にしながら、絵が描けずにクソみたいな生活の中を生きていて、でもそれは緩慢な死だ、俺には生きないことや死なないことは選択できない、生きて、死ぬだけだ。

生きて死ぬだけ。つまらん。最悪だよ。

 

 自分のエンジンが全然かからなくて、エンジンのキーがそもそも刺さらなくて、鍵穴にガムでも詰まってるんじゃないかって不安で、きっと誰かにガムを詰められたんだ、と悪態をついてたけど、違うんだ、ガムが俺なんだよ、俺が何かするときにそれを邪魔してんのは俺なんだ、それが分かってきたぜ

 

とは言ってみたものの、やっぱり誰かがガムを詰めていったと思えてならないし、それは鞄に砂を入れる、教科書をゴミ箱に捨てる、水筒を頭に投げつける、廊下で足をかけて転ばす、というやり方で、なされたんだ、という被害者意識がぐるぐる渦巻いている。

その一方で、「そんな程度のことで俺はここまで何もできなくなるのか?」とも思う。打たれ弱いし臆病だし引っ込み思案だし人見知りだし、弱いほうではあるけど、そこまで弱い自覚もない。どうしたんだ私は。

本当に、どうしちゃったんだよ。

 

 

 昨日の昼過ぎに急に気が滅入ってきて、眠くはなかったのに倒れるように寝てしまって、一日が潰えたから起きたあと余計に落ち込んで、どうしようもなかったのでつらつらと鬱憤を書き連ねて嘆いてみたけれど、「悲しいときは泣くとすっきりする」みたいなセロトニン優位の状態に移行する助けになったらしくて、今はわりと気分が持ち直している。カウンセリングだ。セルフカウンセリング……あんまりセルフじゃなくて、「ブログに書く」という形だから、仮想上の誰かに読まれることを想定してカウンセリングしてもらっている形。それもセルフの範囲かな。

もし実際にこれを読んでいる人がいるとしたら(ここまで読んだ人がいるのだろうか?)、どうも、私のカウンセラーになってくれてありがとうございます。

苦しくて寂しくてつらくてどうしようもないときに、ブログかTwitterぐらいしかやれんというのは、虚しいようにも思うけど、でも死んじゃうより少しマシだ。そう言ってくれると嬉しい。俺はそう断言する。

虚しいのはそんなに悪いことじゃない。