具体性の無さを活用していきたい

 どうにも埒があかなくて困る。

なんの埒があかないのか自分で把握できていないほどに具体性がなくて困る。

本当に困っているんだろうか?

こういう漠然とした、あてどないモヤモヤを、下手に自分の扱いやすい言葉にしてしまうことで、やらなくていい規定をしている気がしてならない。

 

 絵を描きたい。絵を描く。およそ一切の生活や不安と、なんら結び付けずに、ひたすら手を動かしていく。絵を描く。

 

 いざ具体性を持とうとすると悲観的で消極的な見通し以外の何も思いつくことができない。じゃあ思いつかなくていい。そもさん具体的に生きてきていない。

なにかしらに不適応だと感じる。それは社会だとか人間関係だとか現実だ云々といったものじゃなく、もっとぼやけたところに、ものに、不適応だ。なんとなく、という形すら持たず。

霞を食えずに生きる。どうやって霞を食うのか考えることに疲れた。

 

理由は有るより無いほうが良い。私にとってはそうであるように祈る。

なにかをするのに大切なのは具体性や理由や環境よりも基礎体力だ。体力。

体力がないやつはすぐに祈る。