6月の記録 なんとか乗り切った

 6月が終わりました。4月から始まった学校生活は3ヶ月経過。1年の4分の1がもう過ぎたという実感が全くない。毎日朝起きて電車に飛び乗るので必死だった。なんとか3ヶ月間は無遅刻無欠席を達成。体調不良で早退した日はあったけど……今のところはよくやったと思う。

単位計算して休んでいい日数は休む、みたいな器用な真似が自分にはできそうになくて、1日休むと「休んでいい余裕を1日分削ってしまった」とネガティヴに捉えてどんどん精神的に追い詰められるんじゃないか、という強迫観念があって休めなかった。1日くらい大丈夫でしょと思えるようになりたい。あと今かなり経済的に家が厳しい状態で、唯一の収入が私が校に通うことで得ている給付なので、1日休むとその分の収入が減るから、それは厳しいし出られる日数はフルで出とかないとな……と責任感を覚えていて、それが追い詰められ感の原因でもあり頑張れる理由でもあり……という感じでした。

将来的に自分の収入だけで家族が暮らしていくようになったときにはどんなに苦しくても調子が悪くても休めないし(無理なく生活するためには配慮を得られる職場で適度に休憩しつつ働けるようにすればいいんだけど、それだと収入が足りなさそう)収入のために動けるようになっておかないといけないわけで、それの予行演習と思えば全然いいか〜という気持ちも芽生えた。今の状況なら未だそこまで負荷が重くないし。負荷が重くない状況を重く感じてしまうのが私の鬱病だったり強迫観念だったりするんですけど。でもそういう精神状態と実際の状況の照らし合わせだったり情動や体調のコントロールを下手なりに頑張ってやってみて、周囲の助けも得てなんとか3ヶ月間は過ごせました。

就職相談の個別面談で「いま学んでることと全然関係ない一般事務での就労って視野に入れてる?」と聞かれて、……せっかく学んだ専門性を活かせる仕事以外に就きたくねえ……と強く思ったらなんか意欲が一時的に削げてしまって6月の21日から25日まで心身ともに完全に潰れていた。授業中に鬱の波がドバドバ押し寄せてきて、普段からストレスに感じていた物事すべてへの苛立ちが増幅した。

少し前から、母が陰謀論にハマっちゃってYouTubeで馬の骨が垂れ流してる話を聞き齧って胡乱なことを口走るようになって、それが凄まじい苦痛だったので、時に反論したり、そういった動画を観るのを止めるように主張したり、もしくは疲れ果てて何も言う気が起きずに放っておいたりしていたんですが、放っておいた間にどんどん母がデマに蝕まれていく感覚が辛くて、それを我慢し続けるのも限界だったので、正直に「そういった誤情報の動画を家の中で垂れ流されるのは苦痛だからやめてほしい。主張している内容への反論にも耳を貸してくれないのが、意思の疎通ができなくなったようでつらい」という旨を丁寧に時間をかけて説明して、これまでも似たような事は何度か話し合ってきたんだけど、今回ようやく少し実りのある話し合いが出来た。自分の鬱が悪化している原因の大きな一つが、世の風潮としての専門知の軽視や、間違ったセンセーショナルな情報に流されてしまう人の一人に自分の家族がなってしまったことである、というのを柔らかく伝えて、内容や主張はこの際どうでもよくて、ただ私が疲れ果てていて自殺寸前の時に負荷を掛けているのは貴方だったり、貴方のことも私のことも一切なにも関知していないどこかの無責任なインフルエンサーの胡乱な言説によって貴方は家庭内にあらゆる悲惨な出来事の種を蒔いていることを自覚しておけだとか、卑怯だとは分かっているけれど自分の命を俎上に乗せざるを得なくて(そして実際に私は自殺を考え続けているので俎上には乗っている)、いやもう書いててよくわからなくなってきた。とにかく疲れてるから勘弁してくれと伝え続けた。

例え話をするなら、今まで避暑地の別荘で静かに暮らしていたら、急に高速道路の下のあばら家に押し込まれ、そのあばら家の前では毎日のように選挙カーとデモと道路工事が繰り広げられているような、そんな気分であることをはっきり言った。気が滅入るとかを通り越していた。その状況をなんとか少し解決できたので心の荷は大分降りたように思う。降ろす作業が大変だった。今も後遺症を引きずっている。

 

運動不足と睡眠不足と遊びやゆとりのなさがあって、疲れが中々とれない。睡眠薬なしで寝れなくなってから5ヶ月ほど経過した。睡眠薬をあまり長期間は連用しないほうが良いことは分かっているのだけど、飲まないと寝れないことへの不安が強すぎて依存も強まっている。睡眠薬の副作用の倦怠感も出始めているように思う。夜眠れるように、昼にできるだけ運動しようと昼食後の散歩を始めた。早めに食べ終わらないと休み時間が足りず散歩の時間が取れないので、以前より食べるのが早くなった。食べるのが遅いことは自覚していたけれど、ゆっくり食べることで消化の良さや精神的な余裕を作り出していたのが長年の習慣だったので、どうしても急いで食べることに対して焦りや疲れが出てしまう。

 

急ぐことや時間の制約に強いストレスを感じる性質はあまり変わりそうにないなと思う。遅刻するとむしろ安心したり精神的な余裕が生まれるような心の動きがある。遅刻しないように行動するのは苦しい。自分がもしルールを決めていいなら遅刻しても誰も咎められない環境を整えたい。遅刻が前提。人が先。ルールは後。

 

自転車を盗まれたのも強いストレスだった。新しい自転車を買ったけれど、また盗まれるんじゃないかと怯えながら駐輪場に停めているたびに怒りが込み上げてくる。自転車にGPSタグを仕込みたい。本当にGPSタグついてなくても「位置追跡中」って書いたシールと変なICチップっぽいものを貼っておけばヤバ・自転車として盗難を防げそうな気がする。防犯登録と馬蹄錠とロックチェーンはしたけどまだ安心できない。今度は管理人さんが常時勤務している市営の駐輪場を契約したので人の目があるから大丈夫とは思いつつ。いっそ耳なし芳一みたいにお経を自転車全体に書き込んでおこうかな。サドルにだけ書いてなくて盗まれる。それでサドル盗難防止チェーンって商売として成り立ってんのかな?何がそれなんだ。

 

楽しいことも嬉しいこともちゃんとあった。週末のたびに人の家に遊びに行ってアニメや映画を観たりした。のんびり過ごせる時間が土日にあることでなんとか持ち堪えてきた。アニメ『オッドタクシー』はすごく面白かった。久々に映画館に行けて映画『Mr.ノーバディ』を観れた。レヴュースタァライトモータルコンバットやハサウェイやJUNK HEADを観に行きたい。観に行きたい映画リストを作ろうかな。カラオケ行きたい。美術館に行きたい。7月は誕生日があるので何か欲しいものを買おうかなと考えてる。なんだかんだ毎日のように新しい課題に取り組めるのも楽しい。やることのない毎日をずっと過ごして燻っていた10年間が嘘みたいに急に生活が激変して、目が回りそうだけど、でも10年間燻ってた間に見つけた方向性で今進み始めたからこそ考えられることやできることがあって、それを少しずつ形にしていきたい。

 

 

日記 学校生活はじまった / FINLANDSの3rdアルバム『FLASH』を買った

 ひさしぶりに学生になったので初日から日記書こうかなと思っていたんだけど、新しい環境に緊張して疲れたりして全然そんな余裕がなかった。
学校始まったら暫くは忙しくて遊べないかもな~と危惧して、遊び納めじゃ!と思って入学式の前日の夜遅くまで全力で遊んでたんですよね。そのせいで疲れを引きずってたかもしれない。我ながらあほ。

入学式の時に自分の席に自分の名前があったり自分の学生証やら渡されたりするまで「本当に合格してたのかな?ちゃんと入学手続きの書類届いたのかな?」と半信半疑でした。安心した。

なにはともあれ最初の一週間は無事に遅刻せず通えた。まだ短縮授業なのに一日終わると結構疲れてて、フルで授業入ったらこれ体力大丈夫なのかな……?と不安はある。
長らくずっと不摂生してたから急に今になって健康的な生活をしてるのが落差激しくて体がびっくりしてる。一日一食で睡眠時間は二日に一回16時間寝るみたいなむちゃくちゃな生活から、今は一日三食で夜22時か23時に寝て朝6時起きだから、これ……めちゃくちゃ大変……!と思う。今の状態から振り返ると不摂生ひどかった生活のほうが明らかに心身にキツいし絶対に学校とか仕事どころか趣味も無理な苦行だったことが実感できてきた。学校生活に身体が慣れてきて余裕が出たらまたちょっとずつ映画観たりゲームしたり小説書いたりしたい。

夕食に麻婆豆腐を食べすぎて苦しくてまだ眠れない。消化するまでの間は自由時間ということにした。


最近FINLANDSの3rdアルバム『FLASH』を買った。

FLASH

FLASH

  • アーティスト:FINLANDS
  • 発売日: 2021/03/24
  • メディア: CD

FINLANDSは確か1年か2年くらい前にそば/皆月蒼葉 (@n_soba) | Twitterさんにおすすめされて聴き始めて気に入った。
以来かなり聴いててハイレゾ音源買ったりしてて、新譜が出たタイミングでタワレコ行ってCD買った。タワレコ限定ステッカーとFINLANDSオリジナルの発売記念レシートも貰えた。
3rdアルバム『FLASH』、事前情報なにもなしで聴き込んでから下記のインタビューを読んだんですけど、発売延期で作り直した過程で元々入れる予定だったシングル曲のUTOPIAが抜けたりしたのかなと思った。UTOPIAめちゃ好きな曲なんだけど、このアルバムに入ってる曲とはちょっとコンセプトとか違うのかな~と。
FINLANDS『FLASH』インタビュー――自分たちだけの世界を作れる時間があったら | USENのオウンドメディア「encore(アンコール)」 | encoremode |


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7曲目の「ランデヴー」すき

2020/02/10の日記 映画『武器人間』『ボックストロール』を観た

 昨夜20:57に寝て今日14:46に起きた。17時間49分間の睡眠。なぜか急にすごい長い睡眠になった。原因はなんだろう?一昨日に睡眠薬抗うつ薬を久しぶりに飲んで早めに寝たときは00:43就寝で11:35起床の10時間52分間の睡眠でした。もう薬は抜け切ってると思ったんだけどそういう問題ではなかったり久しぶりに一日だけ抗うつ薬を飲んだのが軽い離脱症状みたいなのを作ったりするのかな。17時間は寝すぎだよな~と思いつつ割と気分よく起きれて調子は良かった。

 起きてからごはん食べてお風呂にゆっくり入った。

 映画観たいな~、と思って21:10から映画『武器人間』をamazonのウォッチパーティー機能を使ってフォロワーさんと一緒に悪シネで観た。色んな武器人間がワラワラ出てきてビジュアルが楽しい。博士がノリノリで「終戦させるんだ」「なにをしようかな」と科学に酔いしれていてよかった。

 観終わったあとにもう1本映画を観たくて映画サイコロを振った。映画サイコロというのは一緒に映画を観る参加者各位がそれぞれ観たい映画を持ち寄ってダイスの目に当てはめて、出た目の映画を観るというものです。サイコロはdiscordのダイスbotを使ってます。
今日の映画サイコロはこちら。

1『エンド・オブ・デイズ
2『ゴーストランドの惨劇』
3『ボックストロール
4『シャーロットのおくりもの
5『ファンタスティックMr.FOX
6『映画 賭ケグルイ
7『ヤンママトラッカー』

1d7 で 3が出たので23時から映画『ボックストロール』を観ました。スタジオ・ライカストップモーションアニメ映画。動きが良くて映像に引き込まれてよかった。キャラ立ってるし話も面白かった。児童文学的。原作の小説が邦訳されたらいいな。

観終わったあと3:40くらいまで通話してた。図書館の話とかしてた。映画『パブリック 図書館の奇跡』をおすすめされたので今度観てみる。自分も地元の図書館をもっと活用したいな。本借りるだけじゃなくて読書会をやるとか歌会をやるとか何か地域コミュニティに参加するとか。あやふや。図書館の利用の仕方よくわかってないかもしれない。本借りるか勉強する以外で使ったことあるかな……


かなり夜更かしした。ちゃんと7時間は寝たいなと思うけど4時から7時間寝たら11時か……11時起きなら全然マシか。今日14時だったし。
最近は夜寝るときに夜用のハンドクリームを塗ってから綿の手袋をして寝てます。起きた時に手がもちもちすべすべになってて触り心地が良い。冬場の水仕事は手が荒れてただでさえつらいのに最近は行く先々で消毒してるから手の皮膚の脂が完全に消滅して手荒れがつらい。もうずっと手袋して皮膚に消毒液を当てないようにするか水仕事する時の業務用の撥水性のハンドクリーム塗る必要あるかも。掃除も洗濯も何もかもしっかり手袋して手を守りたい。あとダメージ受けたらちゃんと回復したい。ハンドクリーム塗るとか栄養とるとか。

今日かなり充実してた気がするんだけどまだ何か物足りないような気がしちゃうな。映画2本も観てるのに。少しだけ本読んだりしてから寝ようかな。
今は長谷敏司『あなたのための物語』を読んでいます。いま342p。もうすぐ読み終わりそう。

あなたのための物語

あなたのための物語

鬱によって受け取れてない/受け取りすぎが発生している気がする

 鬱によって自己評価が下がっていたり気分がすこぶる落ち込んでいたりするせいか、物事をフェアにジャッジできていない感覚がある。
どんなものでも素晴らしく見えてしまうし、自分にはこんなすごいものが作れないから……と基準が著しく狂った謙虚さでもって、何を見聞きしても過剰に評価しているような。
世の人が異常なくらいに物事に対して冷めていて嫌味ったらしく感じて辛くなったりもする。こんなに全てが素晴らしいのにどうしてそんなひどいことを言うんだろう……とショックを受けている最中に、いや待てよ、これは自分の認知の歪みだよな、自分以外の人は比較的正常な状態でまともにフェアに評価した上でこういう低評価をしているんだ、と考えなおしたりする。
自分の感覚が信じられないのと同じように人の感覚も信じられなくなっていて、「酒浸りの脳で映画なんか分かるわけないじゃん断酒してから物を言え」とめちゃくちゃ攻撃的で支配的な禁酒を相手に心の中で要求していたりする。創作物に対して自分がへりくだるのに比例して、創作物に対して横柄な態度を取る人への自分の攻撃性がいや増していく。創作物を思考停止で神聖視しているみたいで自分が嫌だ。そんなこと考えたらそもそも鬱病で脳が弱ってる私が映画を観ても何も受け取れてないんじゃないか?と思い始めると辛くて、治るまでしばらく何も見たくない気持ちになるけど、長いこと治らずにいるので治るのを待っていたらもう何もできない。なんか認識や考え方が全部めちゃくちゃになっている。
自殺した友達が、亡くなる前にやたら攻撃的になって周囲とトラブルを起こしまくっていたのを覚えていて、自分が彼のあの時の状態に近づいているんじゃないか、という心配がいつもある。
その彼との共通の知人が、彼の死後に「正直、彼が亡くなったときにちょっとホッとしてしまった」と言うのを聞いて、この人は私や他の人が死んだときも同じことを思ったり言ったりするんだろうか……と感じたらすごく辛くなった。
こういうのも全部あんまり健康な反応や思考ではない気がする。

映画『少女☆歌劇 レヴュースタァライト 再生産総集編 ロンド・ロンド・ロンド』を観ました - 感想 - 繰り返すこと

アニメ『少女☆歌劇レヴュースタァライト』の劇場版、ロンド・ロンド・ロンドを観てきました。
(以下の感想にはテレビ版と劇場版のネタバレを含みます)



ネタバレ含みますと但し書きしておいてぼかした言い方するのも意味は薄い気がするんですけど、おおざっぱにロンドロンドロンドについて述べると、「一年生の時の文化祭でやった舞台が楽しかったから二年生になりたくなくて、一年生の時の文化祭を繰り返すことを選んで時間のループを続けていた人の視点から見た、テレビ版の総集編」でした。誤解と言い間違いがあると思う。ところどころに注意深く見ないと気付ききれない細かい変更点があってどうやら時間軸がテレビ版と違うらしいので。

繰り返していた人は過去の舞台で味わった高揚と充実感に固執して、未来の舞台での変化を恐れてずっと同じ時間の中で過去の舞台の再演を望んでいたわけだけど、結局は何度繰り返してもその再演の舞台に満足することはできず、最初の舞台の時に感じた「まぶしさ」に届かないまま、結局は自分でも少しずつ舞台に変化を加えている、という内容があるんですよ。で、この作品は演劇・舞台モノなんですけど、映画の媒体でテレビ版の総集編という「再演」の形で世に出てるわけじゃないですか。そもそも映画自体が演劇・舞台の再演を映像記録によって可能にしたものだという点も含めて、限りなく映画は舞台の「再演」の装置である。そしてテレビアニメとして放送された作品を総集編として映画として上映するのも再演。その中で描かれている話も再演の物語。でも完全な再演じゃなくて変化がある。これが……こういったメディアミックスだったり、実際の舞台とアニメと映画で織り成される作品構造そのものが全部噛み合ってるのがすごいな、と。私は今回ロンドロンドロンドを観て初めてそこに思い至ったんですけど、たぶんレヴュースタァライトのファンの人たちはこのテーマを散々論じてきてるんですよね。私はテレビアニメ版を一回通して観て面白いな~と思ってただけで全然そこらへん考えることができていなかったのを、再生産総集編を観たことで気付けたので、余計に「再演」の意義と繰り返すことの意味を強く感じました。レヴュースタァライトって作品めちゃくちゃすごくない???すごそう~とは思ってたけど……すごかった。

それによって私がレヴュースタァライトについて感じていたことで何が大きく変わったか、の話に変わります。
件の、時間のループを作り出していた人の、繰り返していた時間を、テレビアニメ版を観たときは虚しい行為や成長の拒否だと安易に感じてたんですよ。先に進むのが怖いのと、過去を愛しすぎているだけ、繰り返す時間の中で仲間たちに対して過保護すぎるあまりにあらゆる不幸を遠ざけすぎているだけなんだと。今回ロンドロンドロンドを観たら、そうじゃない、この時間の繰り返しは虚無じゃなくて、ちゃんと彼女を成長させているんだ、と解釈が変わった。普通は体験することのない時間の繰り返しの中で強く成長するキャラクター、っていうのはタイムリープものではよくあるものだけど(例えば『Life is Strange』のマックスとか)、今作ロンドロンドロンドだと彼女は超越的な視点に立っている描写が追加されていて、ただ時間を繰り返しただけじゃなく、積み重ねた時間の中で仲間たちのことを見守り続けたことで母や神のような精神的状態にかなり近くなっている。一年生の時は演者だったけど二年生の時は裏方に回るつもりでいた、ということや脚本に携わる立場になっている、という要素と同時に、この舞台や作品の外から俯瞰する存在になりつつあって、それは超常的な力とかではなく彼女の成長によって獲得したものなんだと感じた。その成長の糧になったのは時間を繰り返したことで、未来を拒絶することで成長しているというギャップが面白い。

あとは……他のキャラクターの話になりますが、主人公に対して変わってほしくないと固執していたキャラクターも、時間の繰り返しを選んだ彼女と同じように、変化を恐れている、今までを繰り返したい、と望んでいた点で近しいものがあるんだと理解できた。誰だって変化には戸惑うし、同じことの繰り返しから抜け出して変わっていくことを選ぶのは怖いんだよな、これは普遍的な問題なんだよな……って。

ネタバレ含む感想と但し書きしたのにキャラクター名を出すことに何か怯えがあってキャラ名が出せないからめちゃくちゃ感想が書きづらい!!!一応作品未見の人でも要点が伝わる文章にしつつ、これ読んだあとでテレビアニメ版を観ても大丈夫なようにしたいけど大きめのネタバレ自体はしてるし手落ちな気がする。キャラ名出しちゃお。

石動双葉と花柳香子のエピソードの理解も総集編を観たことで変わった。香子が成長せずにいたことに対して双葉が檄を飛ばして香子が変わる、というような浅い理解だったけど、あー全然違うわ、双葉が「叩き直してやる!」と叫んで香子に斬りかかるとき、本当に叩き直してるのは双葉自身なんだ、と。双葉は香子に対して期待をかけながらそれを言葉にしていなかったことや、香子を支えようとしてむしろ甘やかしてしまっていたこと、香子が停滞する原因に双葉自身がなってしまっていたこと、への自覚があって、だから双葉は香子に変わってもらうために自身も変えるべく戦いを挑んでいる。共依存と呼べる関係とはちょっと違うかもしれないけど、なれ合いになってしまっていた二人が信頼を築き直す、という話だったんだ。

一度テレビアニメ版を観たから総集編は別にいいか……と思ってしまっていて観るのが遅くなったけど、観てよかったな、繰り返すことで新しい発見あるし、しかも単なる繰り返しじゃなくてちゃんと変化はあるんだよなーと。感想の再生産も大事じゃね?と思ったら、今まで観てきたものを再び観ることに対しての「いやでも一度見てるからいいや、他のまだ観てないものを観る時間のほうが大事だし」と何か再鑑賞を軽視していた腰の重さとかネガティブな価値観が良い感じに晴れた気がする。未だ見ぬものに触れることの大切さは重々承知な上で!

繰り返すことと変わることは繋がってる。

2019年に映画館で観た新作映画

2019年に映画館で観た新作映画を振り返ってみます。
まずリストアップから。

・1月
『アリー/スター誕生』
『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』
『緊急検証!THE MOVIE』

・2月
サスペリア』(ルカ版)
マイル22
『THE GUILTY / ギルティ』

・3月
アリータ:バトル・エンジェル
ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー
スパイダーマン:スパイダーバース』
『ちいさな独裁者』

・4月
『ブラック・クランズマン』
『バースデー・ワンダーランド』
『グリーンブック』

・5月
バイス
ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』
『ザ・フォーリナー/復讐者』
『プロメア』

・6月
ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』
『神と共に 第一章:罪と罰
海獣の子供
『ウィーアーリトルゾンビーズ
イングランド・イズ・マイン モリッシー、はじまりの物語』

・7月
『ゴールデン・リバー』
『きみと、波にのれたら』
『さらば愛しきアウトロー
『天気の子』
『Diner ダイナー』

・8月
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』

・9月
『メランコリック』
『劇場版 おっさんずラブ ~LOVE or DEAD~』
『ライリー・ノース 復讐の女神』

・10月
『ジョーカー』

・11月
アイリッシュマン』

・12月
『ドクター・スリープ』
『ゴーストマスター』
『羅小黒戦記』(ロシャオヘイセンキ)



2019年1月に観た映画から。
・『アリー/スター誕生』
何度もリメイクされる『スタア誕生』(『栄光のハリウッド』から数えると4回目のリメイク)。
1955年のジュディ・ガーランド主演の『スタア誕生』までは映画界の話だったのを1976年のバーブラ・スライザンド主演『スター誕生』の際に音楽業界の話に変更したので、『アリー/スター誕生』もそれを受け音楽業界の話になってます。ですが演出は1976年版、脚本は1955年版やそれ以前のオリジナルに近い形。
レディー・ガガ演技上手いな……と思って見終わったらエンドロールで俳優養成所アクターズ・スタジオの故・誰それトレーナーに捧ぐ、と献辞が出てきて、そもそもレディー・ガガブラッドリー・クーパーと同じくアクターズ・スタジオ出身なんですね。オリジナルの『栄光のハリウッド』や1937年版・1954年版『スタア誕生』にて描かれたハリウッドの栄光と悲劇、のテーマ的にはアクターズ・スタジオのメソッド演技法が齎したアメリカ映画と役者の人生への影響の光と影が、現実のそれと作劇のそれにオーバーラップするのかなと思います。音楽映画に翻案されたリメイクでありながら、その点において1976年版よりもオリジナルに近い。
書いてて思いましたが観てすぐに書いた感想はもっと内容や音楽についての新鮮な喜びだったのに1年経ってからだと沿革と関係性の話ばっかりになってるので、また改めて観たほうが「まだ観たことない人に向けて」のセールストークができるな……。
良い映画だったのでまた観たいです。後述する『ゴールデン・リバー』『ドクター・スリープ』にも通じるんですけど、飲んだくれの親によって心に傷を負わされた子が、自身も後年にアルコール依存症になってしまうの、実際よくある話だけど世知辛いし何度似たような話を見聞きしても悲しい。



この調子で全部の映画について同じ文量を書くのはまた今度にして今日の分は駆け足で。

・『A GHOST STORY ア・ゴースト・ストーリー』
成仏映画だー!今年は良い成仏映画が6本ありました。『A GHOST STORY』『サスペリア』『きみと、波にのれたら』『神と共に』『ドクター・スリープ』『ゴーストマスター』です。やっぱり成仏映画ってジャンルとして強いですよね……。『海獣の子供』もそうかもしれない。よく考えると色んな映画は実は成仏映画なんじゃないか?
死後の長い旅の中で苛立ちや悲しみを募らせながらも何もできず世界を見守り続けて……壮大なサイクルから自分の人生へと帰ってくる。ユニークかつ優しい。

・『緊急検証!THE MOVIE』
オカルト検証のテレビ番組の劇場版なんですけど、めちゃくちゃ爆笑してしまった。途中でプロフェッショナル仕事の流儀みたいな一幕が入ったりするし何見てるのかよくわかんなくなった。映画が始まる前に入口でスプーン曲げ用のスプーンを渡されて、劇中ユリ・ゲラー本人に「さあ、皆さんも私と一緒にスプーンを曲げましょう」と指示されて劇場のみんながスクリーンに向かってスプーンを掲げながらマガレ……マガレ……!と念じる一幕があって、これ一体なんの体験?ってなりました。後にも先にもスプーン曲げ挑戦上映はこれしかないと思う。

2月に観た映画。
・『サスペリア
陽射しの中の暖かな愛……みたいな終わり方して泣いちゃった。戦争の後の罪の意識の話、として理解したんだけど、そういうストーリーラインとテーマや描かれる世相よりも、身体を捻じ曲げる呪い転写バレエだったり、暗闇の母がサングラス掛けてたり、トムヨークの音楽だったり、真っ当に怖い部分やなんか面白い部分が良くて観てて楽しかった。スローのとこちょっとダサく感じちゃう。オリジナルとは完全に別物なのでリメイクではなくて「ルカ版」だと思います。

・『マイル22
せっかくアクションかっこいいのにカメラワークとシーンの繋ぎ方が微妙で、アクションの良いところを良い角度から映してくれないしテンポが鬱陶しいので勿体なさがすごかった。時系列的に本編の事件を後日談として語る主人公の語りが頻繁に挿入されるの、マジでめちゃくちゃテンポ悪い。要らなくない?緊迫する事件の合間に「あの時、俺は勘違いしていた……」みたいな語りを何回も入れてドキュメンタリー番組みたいにするのおかしくないですか?でもそれを思い出すとちょっとまた観たいかも。強敵の倒し方が派手すぎて逆にサマにならなくて笑っちゃった。似たようなアクション映画だとああいう倒し方はかっこいいはずなんだけどな……。

・『THE GUILTY / ギルティ』
警察署の管制室で通報を受けるオペレーターが主人公の映画。全編通してずっとカメラは管制室の中。主人公が通報の内容に耳を澄ますとき、観客も一緒になって固唾を呑んで耳を澄ます。緊張感や絶望感がすごいし、元は外回りしてた警官(外回りっていうのかな?巡査か)だった主人公がなんらかの理由でオペレーターにさせられていて、その勤務も今日まで!という最後の日にかかってきた一本の通報の電話から物語が始まる。スリルがすごかった。観終わったあとにタイトルを見て納得する。


3月以降に観た映画は記事を分けます。