映画「山猫」の感想

ルキーノ・ヴィスコンティ「山猫」4Kレストア版を観ました。

 

このシーンは変化への戸惑いを、このシーンは変化への順応を示しているんだな、ということが理解できた。

 


ファブリツィオの、自身は時代の亡霊であるという意識故に上院議員への誘いを断った後、甥のタンクレディが立候補する報せを聞いて、馬車に乗らず歩くことを選んだ心境。

彼が帰路を歩く道すがら、民家で誰かが亡くなったあと、その家へと向かう神父を見送り、十字を切ってから星空を見上げる瞳。

かつてコンチェッタとタンクレディの愛を引き裂いて、時代への順応を打算的に押し付けた本人であるファブリツィオが、今度は革命と統合の中で、時代への順応のために誇りと信念を失っていく貴族たちを目にして、受け入れられず目を伏せる姿。

踊りの輪の中に加わっていくタンクレディとアンジェリカ。

 


美しさを懐かしむための映画ではない。けれど懐かしんでしまう。受け入れたはずの変化に我々は順応できない。受け入れるつもりでなかった変化に我々は順応してしまう。