『輪』

 インジャージーを抜けたあたりでアウトジャージーのガッタガタの道路がタイヤを殺しにかかってくる。俺の車は何度も同じ道を走らされることに辟易していて、スペアのタイヤなんてもう使い切っていて、今履いてるやつより少しマシだけど中古で売ったら値が付かないほどのズタボロが後ろんところにヘバりついている。とりあえず車を停めてタイヤを履き替えようとして、そこにクソガキどものバイクが次々と突っ込み、俺のシボレーは爆発、なぜか俺は生き残り、8人で仲良くツーリングしてたクソどもの5人が死んで、残りの3人が急いで停車してオロオロし、俺を見つけて半狂乱のまま殴りかかってくる。あんまりなファックを前にして俺は完全に気をやられ、ありもしない秘匿回線で助けを求める。そして、どういうわけか繋がっちまう。
「もしもし、ネイク?これなに?テレパス?」
俺は、俺がテレパシーなんて使えるってことを初めて知ったもんだから返事の仕方が分からなくて、声を出さずに頷く。頷くついでに身を低く屈めて三人組の一人にタックルし押し倒す。頭を引っ掴んで地面に叩きつける。
「へー、面白いね。テレパスなんて初めて。あんた今どこで何してんの?あんたからは喋れないの?」
頷いたことが伝わったらしく、ノーラが質問を重ねてくる。とにかく喋ってみる。電話と同じでいいはずだ。
「ジャージーから帰る途中なんだ。ちょっと待っててくれ、取り込み中で」
一人をノシた後、そいつの上に乗っかったままだった俺の後頭部に蹴りが入り、めちゃくちゃな光が世界を支配する。どこまでも真っ白、その中に頭が割れそうな痛みだけが浮かんでいて、俺はそいつを支えにして光から脱出、真横に飛んで転がる。クソガキふたりに向き直り、さっきと同じ要領で身を低くして飛びかかる。引き倒す。殴りつける。ノックアウトまで行かないうちに、残りの一人がまた俺を蹴り飛ばす。倒れてすぐ起き上がろうとするが、蹴りをモロに食らった左上腕が痺れていて動かず、まごついてるうちに馬乗りにされる。頭やら胸をボコボコに殴られて、俺は右腕で必死に庇おうとして、途中で地響きに気付いて抵抗を止める。
ふと横を見ると大型バスが路上のゴミをペシャンコに片付けようと突っ込んできていて、俺は悲鳴を上げて目を瞑る。
とんでもない勢いで影が俺の上に差しては通りすぎて、目を開けるとクソガキは轢き潰されて死んでいる。バスは既に遠くまで走り去っていて、タイヤ痕は血まみれで、地獄はより一層、地獄らしくなっていた。

 

 ジャージー。インジャージー。アウトジャージー。ジャージーを中心にしたドーナツか射的の的みたいに、ここらへんは、おかしなことになっている。何があったか知らないが、"なにか"があったときに、俺はジャージーまで友人のウェリンを訪ねに来ていて、そして帰ろうとして車を走らせている途中でジャージーから出られなくなった。中心から外に向かうたび、距離が離れるほどに風景は荒廃し街は消え失せ、そして、インジャージー、アウトジャージー、と呼ばれる最悪のベルトを抜けていくと、そこはもう俺の知ってるジャージーなんかじゃない。インジャージーのあたりならガソリンスタンドの店員はせいぜいウロコが生えてて顔色が悪いぐらいだが、アウトジャージーまで来たらもう本当にアウトだ。道端で倒れてるやつが何の生き物なのか、全く見当も付かない。更に外に向かっていくと……どういうわけか、ジャージーの中心へ戻ってきている。アウトジャージーを何kmか飛ばして、"見えない壁"を突っ切ると、さっきまでの訳の分からない世界は消えていて、平和なジャージーが俺を迎える。みんなが同じ状態にあって、今ジャージーに居るやつらはずっとここを出られずに居る。殆どの住民は出ることを諦めていて、俺みたいなヨソ者たちだけが必死で何度もアウトジャージーを走り抜け、そしてまた戻ってくる。なんの意味もない繰り返し。完全に外の世界から孤立して、残りの物資をやりくりしなくちゃいけなくなった今のジャージーで、俺らみたいに貴重なガソリンをバンバン使っていく穀潰しは、爪弾きものでしかないから、良い顔はされないし、下手すりゃ自警団に捕まって強制労働をさせられるか、畑の土にされていく。
ついでに言うと、インジャージーのインはinじゃなくてINNだ。この街から出ることを願うやつらにとって、安息の地はインジャージーにしかない。正常な街と異常な世界の狭間。窮屈な宿。

 

 バスが走っていくのをボーッと見送っている俺に、ノーラからのテレパスが響く。
「生きてるー?情けない悲鳴だったね」
「だろうな」
車が失くなった状態でアウトジャージーに取り残される、という最低な状況で、のんきなノーラのおしゃべりをラジオ代わりにしながら、俺は歩いて引き返していく。
俺からも近況やら窮状を説明するが、あんまり飲み込めていないみたいで、ネイク、あんた飲み過ぎよ、それとも心をやっちゃった?と取り合ってもらえない。
「既にテレパシーが繋がってるだろ」
反論する。
「こんなものが聞こえてる時点でお前も相当やられてる」
そうね、とノーラが笑う。
「どっかの誰かがずっと連絡よこさないからね」
だから、それは本当にジャージーから出られなくて、と説明を繰り返す。
「電話も何も繋がらないんだ」
「でも、テレパス繋がってるじゃない」
テレパスだからだろ」
「そういうもんなの?」
 知らん。知ったことか。
そうこうするうちにインジャージーまで辿り着いて、根城にしている廃墟、元はダイナーの厨房だった部分――ホールには真っ黄色の肉塊が詰まっているので入れない――へと腰を落ち着ける。厨房横のトイレに入り、煤けた鏡で後頭部や腕の傷を確認するが、どこにも怪我はしていなくて、これだからアウトは嫌なんだ、とボヤく。きっとあのクソガキどもだって、潰れたまま這い回っているに違いない。這いながらインまで来たときに、あいつらが俺のことを覚えていたら、これからは敵が増えることになる。なんとかウェリンの助けを借りてあいつらをジャージーで始末し、肥料にするほかない。密告と流れ者の始末には報酬が出るから、ウェリンは協力してくれる。
「とにかくだ、そっちでは、外ではジャージーのことをどう報道してる?」
「えー?特に何も無いよ、だからネイクあんた妄想がひどいんだって」
俺は愕然としつつ、いよいよここはジャージーですらない、ノーラの居る、かつて俺も居た世界から遠い、とんでもない場所なんだってことを理解する。
ジャージを出られないんじゃなくて、ここはそっちとは別の宇宙なんじゃないのか?
俺はどんどん心配になってきて、できるだけ何も考えずに車をぶっ飛ばしていた間に溜まっていた苦しさが突然胃の中で目を覚ましたみたいに、盛大にゲロをぶちまける。ゲロの中身は食べた覚えもない、へんてこな海藻と卵の殻、ギミーシェルターズチョコレート(ウェリンの子どもたちの好物で、ネイクおじさんあげる、と手渡されたが甘すぎて突っ返した)で、俺はそれを見て更にゲロる。
「あのさあ、吐くなら音声切ってよ」
ノーラが悪態づく。
「切り方わかる?さっきからあんたの声とか心とか全部聴こえてきてんの」
「すまんな、わからん」
段々と接続が良好になっているようで、むしろ話しかけないで済むやり方が分からなくて俺は焦る。
俺の心が全部聴こえてるだって?最悪だ。ゲロってるのを聴かれるよりも最悪だ。
「なんならさ、私がそっちに行ってみようか?」
ノーラが突拍子も無いことを言い出す。
「本当にあんたが言うような、オリジナルのトンデモジャージー、そんなのだと行けるか分かんないけどさ。きっとあんた神経が参っちゃって幻覚見てんだよ。病院まで連れてってやるからさ、居る場所だけ教えてくれたら迎えに行くって」
「やめろ」
絶対に来るな、戻れなくなるぞ、と必死で止める。
テレパスまで使えちゃってるのよ?完全にヤバいでしょ。放っとける状態じゃないんだから、あとね、もう大体の場所も受信しちゃったから、止めても無駄」
呻きながら、来るな、来るんじゃない、と俺はストレスでまたゲロを吐く。ノーラに怒られる。

 

 数日後にノーラは本当にジャージーまでやってきて、憔悴しきった俺の手を引いて、ノーラ御自慢のベントレーの助手席に放り込む。
「どうやって来たんだ」
「普通に来れたの。世界はちゃんと地続きよ」
安心して、とノーラは言う。ネイクの考えたクリーチャーも居ないわ、と。
「なんでオープンカーなんだ、やめろ、ルーフを出せ、カラスが来る」
ノーラはカーナビなんかを見ていて俺を無視する。
「隕石みたいな早さで突っ込んでくる、頼む、屋根が要る」
いきなり車は急発進して、俺は舌を噛みそうになる。
どんどん加速していって、車は瞬く間にアウトジャージーを走り終えそうだ。
俺が何度も肌で覚えている"壁"が近づいてくる。思わず身構える。
「ネイク、速さが足りてなかった、って気はしない?」
「え?」
「元の世界に帰ろう、ってときに、あの古いシボレーで何キロ出してたの」
覚えていない。80キロぐらいか?
「おっそ」
鼻で笑われる。ベントレーは更に加速する。
「料金所や検問を突っ切るぐらいの気持ちでいくの。地獄から抜け出すんでしょ?」
壁だ。壁が迫ってくる。アウトジャージーの果て。壁に突っ込んだ途端、いつもみたいにジャージーに戻されるイメージが湧いてきて、歯の根が合わなくなる。
メーターを見る。300キロオーバー。
「ウェリンと、あいつの家族も逃すべきなんじゃないか、戻ろう」
急に思い出して提案する。
「大丈夫よ。普通に連絡取れてるわ。変わりないって」
にべもなく断られ、俺の混乱は増していき、シートに押し付けられっぱなしの背中が痛み出す。
あまりにも速すぎて、距離の感覚が掴めなくなり、壁がどこらへんなのか、もう分からなくなってきた。
地獄の真ん中をノーラは上機嫌で突っ走る。
「車ダメにしたんでしょ?次はベントレー買いなさい」
俺には少し速すぎる。