時代狂殺人
正しい時代に生まれてしまった。
誰もが義務を果たしている。彼らは能力と意欲の主張に余念がなく、その一挙一動が私に劣等感を植え付け、あらゆる活動から遠ざけていく。高架橋の下を通ると正しさがゴロゴロと私を押しつぶす重たい音が聞こえる。
薄暗く湿っぽいその空間で一人目を殺した。
「タイヤ、やすい」
片言の青年が街角で叫ぶ。当然ながら誰も足をとめず、視線さえ遣りはしない。車など持っていないのだから。ゴムは貴重品だったが、それも昔の話だ。しばらく青年を見ていると、向こうがこちらに気付き、駆け寄ってくる。
「タイヤかいます?」
幼さの残るその顔を見ながら考えあぐねる。ここ数年まともに会話をしていない。なんと返事をすればよいだろうか、とぼんやりしながら頷くと、嬉しそうな顔で青年は私を連れて行く。
塗装の剥げたシャッターを潜り抜け、小さなガレージで二人目を殺した。
大きなクレーン車が横倒しになり往来を妨げていることが幸いし、軍の車両はこの区画を迂回して北へと向かう。軍とは名ばかりの簒奪者の集団だが、私は彼らが好きだ。彼らは仕事とたばこをくれることがある。勿論そんなものは別段どうでもいい。大切なのは、条件を要求してくれることだ。私に一番足りないものはそれだった。
軍の一人が、今日もクレーン車が撤去されていないのを見て舌打ちし、周囲の作業員を怒鳴りつけたあと、私に目を留める。
「たばこを切らしてるな?」
すぐには頷かないのがポイントだ。私は勿論たばこを切らしているし、彼が漂わせているその香りにくらくらしている。それでもまだ残しているようなふりをする。すぐに看過されることを承知で。
「切らすなと言ったはずだ。部屋に電話を付けさせただろう、あれで呼べばいつでも届く」
わからないふりだ。電話など使えなくていい。私が電話を使えなければ彼は足繁くここへやってくる。
「今はこれしか手持ちがない、大事にしろ」
そう言いながら彼もいつもどおり、たった一箱だけを手渡してくれる。
多めに持ってくればいいものを。
「どこかで食事にするか?」
すぐに頷く。空腹など覚えていなくても、彼の誘いには応じる。応じたい。
食事のあと、条件が要求されなかったので
何人目だ?何かがおかしいことに気付いて目覚めた。彼は隣で眠りこけている。ちがう。そんなはずがない。しかし私は彼を殺してなどいない。彼がこの街に来ていたのは何年前だった?私が義務を果たせなくなったのはいつだ?
たばこが切れているかどうかを確かめようとナイトテーブルの灯りをつける。あった。急いで火をつけてくわえる。くわえたはずだった。いつのまにか私は高架橋の下にいた。一人目を見つける。
電話が鳴っている。恐る恐る受話器を取る。
「タイヤかいます?」
青年の笑顔がこちらを見ている。これはなんだ?私はどうすればいいかわからずに頷き、彼を追い、ガレージに辿り着いた。二人目を見つけて受話器を置く。
三人目は彼ではなかったはずだ。そもそも一人目の前に、彼は訪れなくなっていた。クレーンは相変わらず横たわっていて、軍は吸い込まれるように北へと消えた。気付くとたばこの火に照らされた、三人目を見つける。初めて見る顔だ。たばこの火で顔がはっきり見えるものかね?と昔の小説家は書いた。見えるはずがない。たばこの火に照らされているのが誰なのか、など、わかるわけがない。しかし私は三人目だと決めている。決めねばならない。彼でなければ誰でも殺す。
もし彼だった時は、四人目は彼以外を選ばなくては。