私は日記を書いてもいいし、書かなくてもいい

 日記を毎日書こうと思ってつけ始めてまた書かなくなるフェーズを幾度となく繰り返してきた。
続かない理由を挙げて、それを解消しようとしてみたり、無理なく続けられるように短めの文章で更新したり、色々なアプローチを試してきた。
結局のところ、あまりそういったソフトの施策は意味がなくて、単に自分の体調が悪くなるとブログも書かないしTwitterもしなくなるだけなので、気に病む必要が一切ないし、「毎日決められた何かをする」ことは自分の手に負える範囲のものではない、と思うことにした。

 ある程度の労力を要した物事でないと価値を感じにくい、という心の働きがある、と思う。そこに照らしてみると、前述の、「無理なく続けられるように短めの文章で日記を書く」というのは、日記を付ける習慣が持続する/しないに関わらず、単に自分にとって面白くないんじゃないか?
簡単すぎる単純作業には飽きやすいのと同じように。たぶん多少は書く上で何度か推敲するくらいのほうが「文章を書いた」実感が得られる。


 久しぶりに小説の同人誌を出そうと思った。いざ次回の文学フリマに申し込もうとしてから、いや、まだ書ける状態にはないかもしれない、と気後れしてしまって、未だ申し込んでいない。来年の五月の文学フリマコミティアは日程がズレているので両方に参加できるし、できるなら両方にサークル参加したい。とりあえず片方だけ申し込んで準備して、余力がありそうなときに委託させてもらえたらそうする、のが良いんだろうか。


 日記を書かなくなる理由は幾つもあって、たとえば、基本的に毎日なにもしていなくて寝ているだけだから、書くことが自分の頭の中の思索しかない、というのが大きくて、それを自覚するキッカケに「日記を書く」という行為がなりうるから、そもそも日記を書くの自体が苦痛だったり悲しかったりするのかも。
毎日なにかしらの活動がしたい。トートロジー的に日記を書くことで生活が発生してそれを日記に書けるといいなと思ったりする。日記に書くこと作り。夏休みの自由研究感が出てきた。人生が永遠の夏休みに突入してから長いので逆に本来の夏休み感を得られなくなって久しいし、そういう方向で生きてみようかな。



Chinatown Slalomのデビューアルバム『Who want to be a Millionaire?』を聴いた。
Who Wants to Be a Millionaire? by Chinatown Slalom on Spotify


Just Loveのポップな歌モノ感も、8:30みたいなダークアンビエントっぽさも良かった。
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