8/1の日記

 朝からラノベをたくさん読んだ。今まであまり読んでこなかったので新鮮で面白い。

そのあと昼くらいは何をしていたのか思い出せない。たぶん勉強してたはずなんだけど、気が散ってずっと部屋の中をうろうろしたり、猫にごはんあげたり、借りてた映画を観たりしているうちに勉強がどっか行った。

夕方に川崎へ。N響のコンサートを聴く。

コンサート詳細|NHK交響楽団

TwitterのHさん(私じゃないです)がコンサートのことを話題に出してるのを見かけて、行きたい~~と声を掛けたらチケットを取ってくださったので同伴。

スターウォーズの曲の時にトランペットがすごく良かった。ミューザ川崎のホールの形状も面白くて、360°からステージを見下ろす形になっているので、今回の席はちょうど指揮者の顔が見える位置だったため「この角度からオケ観るの初めてだ」と新鮮で面白かった。今日は新鮮で面白いと何回も思う日でした。

コンサートの終了後は食事へ。初対面なのに思い出話ができる、というのがTwitterで長いこと相互フォローの人とオフしたときの面白いところで、実際に会ったのは今日なんだけど交友範囲だったり共通の話題だったりがローカルなところに多くて、「昔馴染みと初めて会った」みたいな謎の感覚が芽生える。

取らぬ狸の皮算用ってひとりでやるよりふたりでやるほうが面白いな!?と思いながら帰宅。川崎から自宅まで帰る途中で電車が中々来なくて、本数が少ない路線と時間帯の心細さに負けてB'zを聴きまくった。いやなんか普段は全然聴かないんだけど駅のホームで電車待ってて全然電車が来ないときに「いまiPodの中に入ってて支えになるのなんだろう?→B'z」と思って聴き始めた。鞄に入ってたトム・ジョーンズも読みまくった。薬を飲まない代わりに本と音楽で神経をどうにかしてんだなってことを痛感する。依存症なんだと思う。外出時に文庫本とiPodが無かったら外界を自分の中から閉め出してしまうことができなくなって不安で仕方ない。手持ち無沙汰に耐えられなくなったのはいつからだろう。iPodの手術受けたい、じゃないけど本当にそんな感じで、こちらには用事の無い、通り過ぎて行くだけの風景から刺激をできるだけ受けたくないって強迫観念に支配されている。

 

 なんかすぐ不安の話になるのを辞めたいなって思う。不安の数を減らすのか、不安から目を逸らすのか、なんらかを講じて上手くやっていきたい。でも前述した外界からの刺激よりは内部から訪れる自分の不安のほうが、自分でも好きなんじゃないかなって気はしてるんだ。私は自分が色んな事に対して色んな不安を抱いていることに悪い気はしない。不安はひとつの刺激から幾つも派生して生まれてきて、きりがなくて、手に余るけど、手に余るほどかわいいというか、不安には不安の面白さがある。安心なんか全然求めていないのかも。

あんまり怖い危険や不安や、強すぎる心配は困るけど、ちょっとした不安ならむしろあったほうが緩衝材になるというか、何かと色んなことに気をかけて気を病んじゃうくらいの感覚が自分の性には合っている。