心の殻を破りたい

もし心には殻しかなくて中身なんて存在しないんだとしたら、びりびりに破られて使い物にならなくなった殻の前で呆然としながら

「私の心は……この殻のほうだったんだな」

みたいになりそう。ありそう!ない。

 

 

「自分は何をどうしても遅刻してしまうんだ」という思い込みに支配されていて実際に遅刻するんだけど、最近ちょっとずつ間に合うようになってきた。すごい。

私が遅刻しないなんて何がどうなってしまったんだ。やっぱり健康的な生活の影響か……健康的な生活は恐ろしいな……

 

 

こういうこと書いてて楽しいのかな。楽しいんだろうな。心の殻のあたりに、ささやかな喜びを感じる器官があって、その薄い皮膜はささやかな喜びを幾つもこちらに示すことで、殻が破られることがないように自衛しているのだ。

で、ささやかな喜びを躊躇なく棄却できる、さっぱりした意志が殻を破って、自分の作り上げた自分のイメージの外へと進んでいく。よくある構図。

そういうものが無かったらどうするんだ?

心には殻なんて無いし人間には意志なんてないし、そもそも心なんてものが脳と脊髄と内臓とホルモンバランスと腸内環境と社会的なあれこれの上に成り立った淡いグラデーションに過ぎなくて、淡い色合いの中で何をどんなに請い願って拒んでかき混ぜたところで、何も意味なんか無いんじゃないか?徒労に耐えられるならそれでいいと思う。

私は徒労に耐えられない。耐えたくもない。

やりたいようにやるさ。