ブログを毎日更新するためのネタがない

 ブログを更新するのってそもそもネタというほどの確固たるものが必要なんでしょうか。

太古の昔、目覚まし時計のスヌーズが何度も鳴ってついに鳴り止んでいたらしい。そのくらいの感覚で目が覚めて、一日はどこにもない。ネタもない。一日があっての物種。

ネタ切れは祈りだ。僕は祈る。ずっと祈っている。

 

 夏は学校の図書館でスティーヴン・キングを読む季節だった。自分の五感をすべて自分の好きなもので埋め尽くして、その忙しく心地良い台風の目の静寂に浸って、いつも五感を引っ掻いて乱す鬱陶しい世界を追い出すのが好きだった。ここにはテレビも野球部の先輩も存在しない。近所のアル中のおじさんが殴りかかってくることもない。

分厚くて頑丈なびくともしない机。すこし弱めの冷房。鞄に忍ばせたウォークマンからイヤホンが服の中を這うように伸びて、髪に隠れて耳に届いている。何が鳴っていたかは覚えていない。家にあった父のカセットテープを勝手に持ちだして聞いていた。甘党なので飴かミント菓子でも欲しいと思っていたが、図書館は飲食禁止だ。たとえ禁止されていなくても、図書館で飲み食いはしたくない。

本や紙を大切に。人も虫も彼らを害することあたわず。そういうわけで味覚に関しては好きなもので埋めるのは叶わなかった。

 

 あと何ヶ月かすると夏が来る。いつだってそうだ。いつか夏が来る。

夏に何かを仮託しているわけじゃなし、それでも夏が好きだ。夏らしく過ごすわけじゃなくても。

夏には訳もなく真面目な気持ちになって勉学に励んだりする。

昼の長さは無条件に押し付けられる豊かさで、私は豊かさには抵抗しない。

時間があるのは良いことだ。時間だけが無造作にあって、何をすればいいか分からず無為に過ごすとしても、ないよりはあるほうが良い。

「人間に時間を与えると碌なことをしない」と嘯いておきながら、時間があることを、時間のある季節を、夏を待ちわびている。

私にとっての夏は時間だ。唯一の時間。夏以外全部無。

意識が神経が血が志が私が巡る。

悲しいことに夏は気温の高さ以外はすぐに過ぎ去ってしまって結構みじかい。

でも、本当に、ほんの一瞬だけ、夏のどこかの00秒に、私にも聞こえる目覚ましが鳴っている。