連想ゲームオーバー

 シャワーが苦手だ。

シャワーを浴びていると魂が抜けたように動けなくなってしまい、平気で一時間くらいシャワーを浴び続けていることが多い。

実に勿体ない。水は勿論、私の時間が非常に勿体ない。

いや水道代がバカにならないのが一番キツいんですけどね。まあね。更には、資源の無駄を強く意識すると、共同体の中で自分が果たしている役割とはなんなのか、役割に対して資源の浪費が目に余るのではないか、赤字の個体なんじゃないか、あ、この個体いらないやん、私なら捨てるわ、という思いに至って非常になんかこう厳しい。

なんで私いきなり口調かわったん?不安定なの?不安定だけどさ。こういうのさ。よくないよね。全体を書いてから付け足した感が否めないよね。人間味を演出しよう、みたいな高度なAIの浅はかな目論見ってやつですよ。最近のAIはシャワー浴びるんですよ。防水性能とか低くて漏電するんですけど。あ、これオチついたわ。もう書くのやめていいかな。と思ったけどオチとして弱いし、続けます。今のくだり全部なかったことにしてください。あと全然オチてねえよ!

なぜシャワーを浴びていると動けないのか、と長年の疑問だったのだが、最近になって考え直してみると、別にシャワーでなくとも、何かに集中することができずに呆然としている時間、というのが非常に多いのだった。

シャワーの場合は流れ続けているので、ふと我に返った瞬間に「あ、シャワー浴びっぱなしだった」と気付く機会がある、というだけなのだろう。

確かにシャワーを浴びているときは嫌なことを思い出してしまいがちだし、それで意識がふらふらと彼方へ飛んでいってしまう、そういう傾向はある。

 

 集中力がない。

それはもう自分で驚くほどに集中力がなくて、人の話を聞いていないとか、長い文章を読んでいる途中で内容を忘れてしまうとか、そういう受動的なものに限らず、

何を考えていたのか見失ってしまうし、文章を書いている途中でふらふらと席を立ってしまい河原を散歩してしばらく歩き回ったあとに帰宅して机に戻り「この文章なんだろ?」と首をかしげるほどに集中力がない。これ記憶力もないな。

 

 連想癖、とでも呼べばいいのだろうか、憎い悪癖がある。

空想癖の連想版だと思ってもらえばいい。ただ空想癖より遥かに面倒で実害の大きいものだ。

とにかく何か、情報や刺激や、記憶の回想、思考などが初めにある。まあ誰しも頭の中には常に何か浮かんでいる。その浮かんでいる何か、が始点になる。

その何か、をきっかけに、次の情報が浮かび、更にそこから次の、次の、次の、と際限なしに連想が始まって終わらなくなり、何かを作業していた手は止まり、目の前の全てが見えなくなり、耳には何も聞こえなくなって、連想の包囲網の中でずっとぐるぐる自問自答を繰り返している状態に陥るのが、連想癖だ。

 

  好きな音楽を聴こうとヘッドホンをして、再生ボタンを押す。

一曲わずか四分ほどの間に、もう音楽を聴いていることを忘れて、空想に耽っている。連想の輪っかがくるくると縦横無尽に回転して、私の周りに球体の軌跡ができる。

私と中心を同じくしている、私の連想。

その連想の輪、連想の球によって私は世界から覆い隠されて、ヘッドホンからの音楽すら聞こえないところへと連れて行かれる。感覚の断絶。

 

集中力や記憶力がないのは、こういった「連想」によって私が無力化されているからなのです、というような言い訳じみたものになってしまったが、おおよそこれが私の知りうる私の悪癖で、状況で、病状で、私そのものだ。

 

やっぱり、これは言い訳なんだけれど。

でも本当に、連想のせいで、自分で始めるでもなく自動で始まってしまう、止めようのない連想によって、私の意識は途切れてしまうし、作業は中断されるし、私の時間はどこか知らないところで消えていて、私はどうしようもなく何もできないままでいる。

 

 助けてくれ、と言おうとした、その思考も回転する何かにぶったぎられて、なんだか分からない破片になって転がっていった。意識は途切れる。

 

 ふと私は目の前にあった破片を拾い上げる。それを強く握り締める。連想する。いつもの自動的に始まる無作為な暴力ではなく。私の意志で。その全てを辿り始める。

思いついたものは書いていこう。すぐに忘れてしまうから。

なるべく素早く。乱暴に。その破片で。