体調も落ち着いてきたので書き留め

8/30 発熱 40.6℃

8/31 PCR検査

9/1 記憶ない 寝てた

9/2 記憶ない 寝てた?

9/3 検査結果が届く 陰性

9/4 2 Vakzine(体調を考慮したら先送りにすべきだったけどリスケジュールしても来週以降の土日に入れられそうになかったし予約しそびれて長引く可能性が高く感じられたので敢行)

9/5 副反応で37.3℃

 

月曜から金曜まで1週間学校を休んでしまった。仕方ないとはいえ内容についていけなくなるのも履修率下がるのもつらい。かつて不登校になったとき一気に内容が理解できなくなって挫折したのがトラウマになってるので心中穏やかでいられない。まあそれでもやっていけるのでやっていく。明日からは復帰。生活の仕方なんか全部忘れた。新しく暮らせばいいか。

 

ちょっと動くと息が上がるのでしばらくゆっくり移動する。精神的に負荷がかかって動悸がしてもすぐ休む。

発熱したので経過観察記録2日目+今後の行動方針策定

8/30

5:00 発熱 40.6℃

当日の記録はnoteに書いていたのだけれどなぜか今自分の環境からnoteにアクセスできないので今日ははてなブログに書いています

 

8/31

9:00 発熱外来の予約が取れた

9:40 パルスオキシメーターの検査とPCR検査を受ける。解熱剤を貰う。酸素量はSpO2 91%。

看護師さんから、検査結果は陽性だった場合は電話にて当日の連絡、陰性だった場合は当日の連絡はせず、後日結果を郵送すると教えてもらう。入院の希望があるかどうかを聞かれ少し迷うも無いと答える。帰宅。

 

12:30 病院から着信がある。陽性だったのかと思いながら出るが一瞬で切れてしまう。折り返し電話をして、「先程お電話いただいたのは検査結果の通知でしょうか?」と確認をとると、「お調べして再度こちらからお電話しますので少々お待ちください」と案内され通話を切る。その後電話は来なかった。

 

陽性だったなら再度連絡が来るだろうし多分……陰性だったのだろうと判断しているのだけど、じゃあ最初の電話はなんだったのかよくわからない。間違えてかけてしまったんだろうか?そしてそのあとに補足の説明をすると約束してくれたあと病院から何の連絡もなかったので不安になっている。この状況下で忙しいのだろうしミスも増えるだろうから仕方ないとは思うのだけど検査結果の正確な情報を早く知りたい身としては困ってしまう。やっとで受診させてもらえた発熱外来なので検査して薬を処方してもらえただけありがたいので感謝はしています。

SPo2が91%と低めだったけどPCR検査が陰性だったのは何か腑に落ちない。結局数日後に届くらしい検査結果の郵送を待って陰性と書かれているのを確認しないと確定判断ができない。

 

今後どのように日常生活に復帰していくか、どのような対処が必要かを考えている。

先ずは自分の体調を鑑みて症状が軽快してから登校する。

次に、陰性だった(?)けれど万が一実際には感染しているのに検出されなかった可能性に備えて家庭内感染を防ぐための行動を取り続けること、発症から10日間、症状軽快から3日間は通学を控え自宅療養する。

もしくは数日後に再度PCR検査を受ける。

今後に呼吸器症状が悪化した場合は病院に連絡する。

療養証明書はPCR検査の結果が陽性だった場合しか出ないのだとしたら、感染拡大防止のために自宅療養したケースの後に陰性だった時にはどうやって生活の保障を受ければいいのか調べる。保障が受けられないのだとしたら収入減により経済的にかなり苦しくなるのでその対処も要る。

今回の発熱が新型コロナウィルス感染ではなかった場合→ひとつ懸念事項があって、下腹部右に痛みがあり、寝ると熱が上がる状態が続いているため、虫垂炎の疑いがある。発熱している状態で昨今の状況だと、PCR検査を受けて陰性だった場合のみ普通の診療科で内科や消化器科を受診できるとのことだったので今回のプロセス自体は必要だったのだけど、処置が遅くなっているので不安がある。

合併の可能性→新型コロナウィルスに感染していたが今回のPCR検査で検出されず、また虫垂炎も併発している可能性。

いずれを鑑みても少なくとも体調が良くなるまでは休むことにした。経済的理由で、陰性なら多少無理をしても日常に戻ろうと思ってしまったが、それは誰のためにもならないと思い取りやめた。焦らず療養する。そもそも今の体調だと電車には乗れない。

 

 

ワクチン一回接種済。二回目接種を9/4に控えていた今、高熱を出してしまったので、陽性だったなら接種のキャンセルをして予約を取り直さなければいけないし、陰性だったなら受けに行こう、と思っていたけれど正直いまの段階だと病院の不可解な対応もあって判断しかねる上に日程がかなり近いのでどうしたものか迷う。1回目接種していたおかげで少しは軽症で済んでいるケースなんだろうか?

PCR検査も自分はちゃんと正しい結果が出るようにできたんだろうか?と不安になる。事前に丁寧に歯磨きしすぎたせいで結果に影響出たりしないですよね?疲れすぎて全体的に全てが意味わかんなくなってきてます。そもそも論として電車通学するのがハイリスクなのでオンライン授業になってほしい。企業説明会もオンラインにしてほしい。明日9/1は学校で健康診断があるのでできれば休みたくなかった(休むと後日どこかで自費で健康診断を受けなければいけないため)んだけど絶賛発熱中で終わった。元から心身の疲労がピークに来ていたのでいずれ倒れていた気もする。体温計の40℃の表示を見て最初に思ったのは「泣きっ面に蜂じゃん」でした。

 

 

現在の症状

・発熱38℃〜40℃

・脱水症状

・頭痛

・咳、痰、鼻水、息苦しさ

・全身の痛み

・倦怠感

・腹痛(下腹部右下)

・味覚の違和感

・うつの悪化

 

服用したもの

カロナール

麻黄湯

・銀翹散

 

 

 

8/30の発熱当日と8/31の二日間あちこちに電話して受け入れてくれる発熱外来を探すのにかなり疲れた。なかなか予約が取れなかったり断られたりし続けて辛かった。自治体のPCR検査センターも、かかりつけ医とかかりつけ医の所属する医師会を通しての予約が必須かつ一日に実施できる検査件数がかなり少ないとのことだったので最短で予約できても数日後か来週の検査になると案内された。

 

 

 

今回、周囲の人からの励ましのお言葉、服薬のアドバイス、診療案内、保健所や発熱相談センターへの連絡のアドバイス、事務的手続きの手伝いの提案、お見舞いの送付など、色々と助けていただいています。ありがとうございます。

 

2021/8/18の日記

前日の昼に飲んだカフェオレのカフェインが効きすぎたのと夜遅くに映画を観たのが相まって寝付けず、眠りについたのが深夜2:30だった。その後6:50に起きて合計睡眠時間は4時間20分ほどだった。

当然ながら眠気が昼過ぎに訪れて14時くらいに椅子に座ったまま気絶した。課題は一応できあがったけれど課題に添付するコンセプトシートが一文字も書けなかった。今回この課題のどういったところを見てほしいか?という狙いだったり工夫だったり学びは何を得たか?というのが何ひとつ思いつかず「わからん。なんか必死に手を動かして作った」としか思えなくて辛かった。

 

精神状態が凄まじく悪いので久しぶりに抗鬱薬抗不安薬を全部飲んだ。睡眠薬も飲んだ。寝ます。今日は7時間寝れそう。朝起きれるか不安。

夏休みの記録

夏休みが明けてから1週間くらい経ってる今になってとりあえず書き残しておこうかなと思った。

のんびり過ごした。

くだものを色々食べた。スイカと桃と梨とリンゴとバナナを食べた。夏らしさが一番強かったのは真夏日の昼間にあえて窓を開けて蝉の声を聞きながら食べたスイカだった。日本家屋の縁側に座ってスイカ食べて中庭に打ち水する暮らしがしたい気持ちが湧いてくる。スイカの種を口からプッと飛ばして、行儀が悪いと怒られるみたいな、そういうステレオタイプなノスタルジーがほしい。

梨は切る方向で繊維の向きによって食感が変わるらしいと教えてもらって試してみた。確かになんか違うような気がした。今度は梨2個買って切り方による違いの食べ比べしてみたい。

フレンチトーストを焼いたら気に入ってもらえて嬉しかった。

色々つくってもらって食べてた。ごちそうさまでした。

暑い時間帯はアニメ観たりYouTube観たりして、涼しくなってから夜の散歩に出たりして、夏のおいしいとこをいい感じにつまみ食いするみたいに生きてた。楽しかった。

来年の夏は旅行に行きたいな。来年の夏どうなってるんだろうね世界。

漫画『ルックバック』感想

藤野が「私が連れ出したせいで」と後悔して責任を感じるあと、藤野が漫画を描かず空手をやっていて偶然京本を救う空想のシーン、たとえ藤野と京本が出会っていなくても京本は美大へ行っていたかもしれないし、何よりも、藤野が京本を部屋から外の世界に連れ出したこと、一緒に遊んだこと、一緒に漫画を描いたこと、仲良くなったこと、大切な友達になったこと、その全てが、藤野が描いた漫画が京本に届いたこと、京本の描いた漫画が藤野に届いたことで始まっていて、その全てが、描かなきゃ始まらなかったこと、築けなかった時間を作っていることに藤野が思い至ること、それでも悲しみと喪失感から立ち上がれない藤野が訪れた京本の部屋には、藤野の漫画の単行本がある。

「この続きは12巻で!」

楽しみに待っていてくれた人に向けて描く。また机に向かう藤野。もう京本には届かない。でも描く。たぶんこれからも何度だって藤野は京本が居ないことの悲しみを受け止めきれなくなって喪失感で潰れそうになる。自分のせいだと責めたり、でも描いたから出会えて作れた時間があるんだと思い直したりの繰り返しの中で、もしかしたらまたマンガを描けなくなるかもしれない。それでも今また藤野は描き始めた。藤野がそれを今考える余裕があるのかは分からないけど、藤野のマンガが届いていた相手は京本だけじゃないことも、いつか振り返る時がある。どこかに京本みたいな人が居て、もしくは全然京本とは似ても似つかない人でも、その人が臨むのはマンガなんかじゃ全然なくて、その人のやりたいことを見つけて向かうんだとして、藤野のマンガがその人を外へと連れ出していく。そういうキッカケになりうることが藤野にとってはすごく怖くなることも、描く理由になることも、両方合わせて、悲しみと喜びを振り返りながら、描いていく。

心が折れそうな時(いつも)に読んで元気をもらってる漫画3選

心、折れそう~。
というわけで自分が読むと元気が出る漫画を自分で再確認して読み返そうという試みです。最近つらいので……
マンガが面白くて本当によかった。


1. つるまいかだ『メダリスト』

なにかを始めるのに遅すぎるということはない、とは言うけれど、遅れた人にとって、その遅れってすごく深刻で重大な問題で。焦りと不安と、もう自分にはダメなんじゃないか?という絶望感を抱えながら、それでも夢を追いかけるとき、自分より先にその道で頑張っていた人たちの力量を前にして、その不安は更に大きくなって、押し潰されそうな中で諦めずに挑戦する。そんな時の心に寄り添うような追い越していくような一筋の光みたいな眩しい漫画が『メダリスト』です。がんばってる人見ると泣けちゃう。


2. 丸川トモヒロ成恵の世界

SFラブコメで日常系の漫画が終盤で壮大なスペースオペラになる時に感じる心細さと心強さの合わさったような感覚があって、この漫画はそれが本当に心地よくスリリングかつ優しいです。大切な人、守りたいな~という純粋な気持ちにバフかかる。日常を大事にしたくなる。


3. 舞城王太郎大暮維人バイオーグ・トリニティ

心にぽっかり穴が空いたような、と形容される感覚があって、それが本当に空いちゃった世界で、じゃあ自分はこの穴を埋めるために何を求めるんだろう?どうして穴が空いたんだろう?自分があの人のことを好きな理由ってなんだろう?という疑問が世界と繋がって、恋と戦いの先に愛がある。SFでミステリでバトルで愛。表紙の蛍光色がすごく目を引くので本棚の中にあるのを見るとついつい読みたくなります。



『メダリスト』を読むと勇気、『成恵の世界』を読むと優しさ、『バイオーグ・トリニティ』を読むと愛と闘争心が湧いてくるな~と感じています。

6月の記録 なんとか乗り切った

 6月が終わりました。4月から始まった学校生活は3ヶ月経過。1年の4分の1がもう過ぎたという実感が全くない。毎日朝起きて電車に飛び乗るので必死だった。なんとか3ヶ月間は無遅刻無欠席を達成。体調不良で早退した日はあったけど……今のところはよくやったと思う。

単位計算して休んでいい日数は休む、みたいな器用な真似が自分にはできそうになくて、1日休むと「休んでいい余裕を1日分削ってしまった」とネガティヴに捉えてどんどん精神的に追い詰められるんじゃないか、という強迫観念があって休めなかった。1日くらい大丈夫でしょと思えるようになりたい。あと今かなり経済的に家が厳しい状態で、唯一の収入が私が校に通うことで得ている給付なので、1日休むとその分の収入が減るから、それは厳しいし出られる日数はフルで出とかないとな……と責任感を覚えていて、それが追い詰められ感の原因でもあり頑張れる理由でもあり……という感じでした。

将来的に自分の収入だけで家族が暮らしていくようになったときにはどんなに苦しくても調子が悪くても休めないし(無理なく生活するためには配慮を得られる職場で適度に休憩しつつ働けるようにすればいいんだけど、それだと収入が足りなさそう)収入のために動けるようになっておかないといけないわけで、それの予行演習と思えば全然いいか〜という気持ちも芽生えた。今の状況なら未だそこまで負荷が重くないし。負荷が重くない状況を重く感じてしまうのが私の鬱病だったり強迫観念だったりするんですけど。でもそういう精神状態と実際の状況の照らし合わせだったり情動や体調のコントロールを下手なりに頑張ってやってみて、周囲の助けも得てなんとか3ヶ月間は過ごせました。

就職相談の個別面談で「いま学んでることと全然関係ない一般事務での就労って視野に入れてる?」と聞かれて、……せっかく学んだ専門性を活かせる仕事以外に就きたくねえ……と強く思ったらなんか意欲が一時的に削げてしまって6月の21日から25日まで心身ともに完全に潰れていた。授業中に鬱の波がドバドバ押し寄せてきて、普段からストレスに感じていた物事すべてへの苛立ちが増幅した。

少し前から、母が陰謀論にハマっちゃってYouTubeで馬の骨が垂れ流してる話を聞き齧って胡乱なことを口走るようになって、それが凄まじい苦痛だったので、時に反論したり、そういった動画を観るのを止めるように主張したり、もしくは疲れ果てて何も言う気が起きずに放っておいたりしていたんですが、放っておいた間にどんどん母がデマに蝕まれていく感覚が辛くて、それを我慢し続けるのも限界だったので、正直に「そういった誤情報の動画を家の中で垂れ流されるのは苦痛だからやめてほしい。主張している内容への反論にも耳を貸してくれないのが、意思の疎通ができなくなったようでつらい」という旨を丁寧に時間をかけて説明して、これまでも似たような事は何度か話し合ってきたんだけど、今回ようやく少し実りのある話し合いが出来た。自分の鬱が悪化している原因の大きな一つが、世の風潮としての専門知の軽視や、間違ったセンセーショナルな情報に流されてしまう人の一人に自分の家族がなってしまったことである、というのを柔らかく伝えて、内容や主張はこの際どうでもよくて、ただ私が疲れ果てていて自殺寸前の時に負荷を掛けているのは貴方だったり、貴方のことも私のことも一切なにも関知していないどこかの無責任なインフルエンサーの胡乱な言説によって貴方は家庭内にあらゆる悲惨な出来事の種を蒔いていることを自覚しておけだとか、卑怯だとは分かっているけれど自分の命を俎上に乗せざるを得なくて(そして実際に私は自殺を考え続けているので俎上には乗っている)、いやもう書いててよくわからなくなってきた。とにかく疲れてるから勘弁してくれと伝え続けた。

例え話をするなら、今まで避暑地の別荘で静かに暮らしていたら、急に高速道路の下のあばら家に押し込まれ、そのあばら家の前では毎日のように選挙カーとデモと道路工事が繰り広げられているような、そんな気分であることをはっきり言った。気が滅入るとかを通り越していた。その状況をなんとか少し解決できたので心の荷は大分降りたように思う。降ろす作業が大変だった。今も後遺症を引きずっている。

 

運動不足と睡眠不足と遊びやゆとりのなさがあって、疲れが中々とれない。睡眠薬なしで寝れなくなってから5ヶ月ほど経過した。睡眠薬をあまり長期間は連用しないほうが良いことは分かっているのだけど、飲まないと寝れないことへの不安が強すぎて依存も強まっている。睡眠薬の副作用の倦怠感も出始めているように思う。夜眠れるように、昼にできるだけ運動しようと昼食後の散歩を始めた。早めに食べ終わらないと休み時間が足りず散歩の時間が取れないので、以前より食べるのが早くなった。食べるのが遅いことは自覚していたけれど、ゆっくり食べることで消化の良さや精神的な余裕を作り出していたのが長年の習慣だったので、どうしても急いで食べることに対して焦りや疲れが出てしまう。

 

急ぐことや時間の制約に強いストレスを感じる性質はあまり変わりそうにないなと思う。遅刻するとむしろ安心したり精神的な余裕が生まれるような心の動きがある。遅刻しないように行動するのは苦しい。自分がもしルールを決めていいなら遅刻しても誰も咎められない環境を整えたい。遅刻が前提。人が先。ルールは後。

 

自転車を盗まれたのも強いストレスだった。新しい自転車を買ったけれど、また盗まれるんじゃないかと怯えながら駐輪場に停めているたびに怒りが込み上げてくる。自転車にGPSタグを仕込みたい。本当にGPSタグついてなくても「位置追跡中」って書いたシールと変なICチップっぽいものを貼っておけばヤバ・自転車として盗難を防げそうな気がする。防犯登録と馬蹄錠とロックチェーンはしたけどまだ安心できない。今度は管理人さんが常時勤務している市営の駐輪場を契約したので人の目があるから大丈夫とは思いつつ。いっそ耳なし芳一みたいにお経を自転車全体に書き込んでおこうかな。サドルにだけ書いてなくて盗まれる。それでサドル盗難防止チェーンって商売として成り立ってんのかな?何がそれなんだ。

 

楽しいことも嬉しいこともちゃんとあった。週末のたびに人の家に遊びに行ってアニメや映画を観たりした。のんびり過ごせる時間が土日にあることでなんとか持ち堪えてきた。アニメ『オッドタクシー』はすごく面白かった。久々に映画館に行けて映画『Mr.ノーバディ』を観れた。レヴュースタァライトモータルコンバットやハサウェイやJUNK HEADを観に行きたい。観に行きたい映画リストを作ろうかな。カラオケ行きたい。美術館に行きたい。7月は誕生日があるので何か欲しいものを買おうかなと考えてる。なんだかんだ毎日のように新しい課題に取り組めるのも楽しい。やることのない毎日をずっと過ごして燻っていた10年間が嘘みたいに急に生活が激変して、目が回りそうだけど、でも10年間燻ってた間に見つけた方向性で今進み始めたからこそ考えられることやできることがあって、それを少しずつ形にしていきたい。