必殺技

「一緒に考えた必殺技、まだ覚えてる?」
 詩織が懐かしむように話す。季節は冬。場所は新宿の居酒屋の片隅。私たちの通っていた中高一貫の女子校の、初めての小規模な同窓会。その席で、詩織は饒舌に私を困らせる。
「必殺技?なにそれ」
「えー。たくさん作ったじゃん。私より広瀬のほうがマジだったじゃん」
詩織がテーブルの上を見回す。詩織は私の下の名前を呼んだことがない。
「料理もうだいたい片付いちゃったね。誰かなんか頼む?」
周囲にいる元級友たちがそれを受けて騒ぎながら店員を呼ぶ。詩織と級友たちが注文している間、私は黙り込んでいる。手帳を取り出して余白に書き込む。”必殺技”。なんだか笑えてくる。手帳を鞄にしまい込む。注文を終えた詩織が戻ってくる。
「広瀬は今彼氏いんの?」
「ううん。いない」
「お。フリーいいね」
「気ままだよ。おすすめ。詩織は?」
「私?私はノット・ア・フリーです」
「お~?聞き捨てならんな~」
そんなことを話しながら私は全然別のことを考えている。数年前のこと。中学生の頃、高校生の頃、詩織と一緒に考えていた幾つもの設定を。

 

 中学に入って初めて親にケータイを持たされた。特にケータイが欲しいと頼んだ記憶は無い。それは同学年のみんなも同じらしかった。家から離れた学校へ電車通学する娘に、心配だから、と親が渡してきたケータイは、すぐに私たちのおもちゃになる。まず最初に同じクラスのみんなと連絡先を交換しあう。その時のケータイは、赤外線通信でデータを送り会う仕様だった。みんなそれぞれ持っているケータイの機種によって通信できる場所が違うので、「私のケータイどこに赤外線ついてんの?」「ここじゃね?この黒いカバーのとこ」と探すところから連絡先の交換は始まる。クラスのみんなの名前を覚えるのと一緒に、みんなのケータイのどこに赤外線通信部があるのかを覚えた。そして他愛ないメールを頻繁に送り合うようになった。その時に詩織と出会った。
 詩織は変な子だった。入学してすぐに教室にマンガを持ってきていたし、休み時間に椅子じゃなく机の上に座るし、お弁当を持参するか学食で昼食を取るようにと生活指導を受けているのに、学校の近くのコンビニで買ったサンドイッチやざるそばをいつも持ち込んでいた。最初は、そんな子は詩織だけだったのに、次第にみんなが詩織の真似をし始めた。詩織しか読んでいなかった週刊少年ジャンプは、中学1年生の夏休み前になると、クラスの半分くらいが読むようになっていた。私も同じだった。

 昼休み、私が詩織の席の横にしゃがみ込んで、詩織が貸してくれたマンガを読んでいると、ふいにケータイが鳴った。見ると、詩織からのメールが届いている。
「真横にいるじゃん?なんでメール?」
私は詩織を見上げる。教室の一番左。一番後ろ。窓側。カーテンにもたれかかるようにして椅子にもたれている詩織が、ケータイから顔を上げて私を見る。
「まだ広瀬って私のプロフ見てないよね?と思って。メールでリンク送った」
「プロフ?」
メールの中の青色に変色しているURLを見る。カーソルキーを下に押して、OKを押す。ページが開く。
「ページの途中にゲスブ……ゲストブックってのあるから入ってよ。自由に書いてって。掲示板みたいなやつね」
「ふーん?」
そこには今私が読んでいた漫画のキャラのファン(みんなたぶん同じクラスの誰かなんだろうというのはなんとなく分かるペンネームだった)や、ジャニーズのファンがひしめきあっていた。みんなが思い思いの書き込みをしていた。
「へえ。詩織が管理人?してんの?」
「まあね。ゲスブ、三つに別れてるから」
どうやら、ゲストブックには、漫画の話専用、アイドルや芸能人の話専用、と、もうひとつ、なんの話をしているのか分からない掲示板があるようだった。
「この三つめの、オリ、って書いてあんのなに?」
オリキャラ
 詩織が短くそう言ったときにチャイムが鳴った。五時限目の授業が始まるまでの間、私は、オリキャラの話専用のゲストブック、というのを、なんだか分からないままに眺めていた。

 秋になった。私と詩織は頻繁にオリキャラを作ったり、オリキャラの設定を足したりして遊んでいた。詩織のプロフのゲストブックに、夏休みの間、毎日のように通い詰めていた私は、すっかりオリキャラというものを理解した。
 自分で作るオリジナルのキャラクター。姿形、年齢、どんな過去があって、どんな性格で……。詩織が考えたオリキャラの設定を元に、私が絵を描いたり、私が考えたオリキャラの小説を詩織が書いたりして、私たちは過ごした。特に詩織が好きなのは異能バトル系のキャラだった。超能力や魔法が使えたり妖怪の血を引いていたりする、少年漫画みたいなキャラクターが詩織は大好きだった。当然のように彼らオリキャラには必殺技があった。詩織がオリキャラを考える。私がオリキャラに似合う必殺技を考える。オリキャラのライバルになるキャラを私が作り出す。詩織がライバルの必殺技を考える。
「実は幽真と風斗は兄弟なんだよね、それで必殺技も似てて……」
詩織が深夜にゲストブックに書き込む。まだゲストブックに書いてまとめる前の、オリキャラの設定相談なんかをするときには互いにメールをした。メールは何通も続いた。Re:Re:Re:Re:Re:Re:Re:…………

 

「必殺技、覚えてる?ほら広瀬の考えたやつ……太陽の光を集めて~、焼く」
「あはは、覚えてない~」
笑いながら私と詩織は同窓会の幹事に三千円を渡す。本当は全部覚えてる。でもそれを言い出せなかった。覚えてると言うのが恥ずかしかった。詩織は私の下の名前を覚えているのだろうか?ふと気になる。一度も下の名前で呼ばれたことがない。聞いてみようか。私の下の名前、覚えてる?と。それも言い出せなかった。
「広瀬~今度映画行こうぜ~」
「いいよ。なに観るの?」
「マーベルのやつ。もしくはDC。いつでもどっちかやってるし」
「今はアメコミ好きなんだ?」
「彼氏がアメコミすげー持ってんだよね」
「そうなんだ」
なぜだか寂しくなった。いま、詩織の隣に座って漫画を読んでいるのは、私じゃなくて、その彼氏なんだ。

 

 JR新宿駅まで一緒に歩いて、そこで解散した。改札を通って手を振りながら消えていく詩織を見送ったあと、私は西武新宿駅へと歩き出し、途中で思いついて大型書店に立ち寄る。店員にたずねる。
「アメコミの棚ってどこにありますか?」
ございます、少々おまちください、と店員が案内してくれるのを待つ間、私はほとんど泣きそうだった。