竜宮城の話をしよう

 海底に鎮座する絢爛豪華な宮殿。大方の竜宮城のイメージはこんなものではないだろうか。しかし今日はそれとは違った竜宮城の姿を語っていこう。

 

 竜宮城は透明な膜だ。海底を覆い尽くす、アミノ酸や塩を主成分とする透明な膜。それは粘菌のようなネットワークを形成していて、巨大な量子コンピュータでもある。地球の全ての生命はここから生まれていった。

光より速い演算で沈黙を紡ぎ続ける。竜宮城はただそれだけの組織だ。

 

 基本的に外界との接触を持たず、かつて生まれていった者達の子孫ともコンタクトを取らない竜宮城だが、一度だけ、試験的に接触を試みたことがある。

浦島太郎だ。

竜宮城から地上まで亀が、亀というのはつまりナローバンドだが、辿り着き、知的生命体を探していたところ、ナローバンドだからなのか、造型が珍しかったのか、数匹の猿の幼体に攻撃され、ただでさえ遅い回線速度が更に遅くなっていたとき、彼は現れ、ナローバンドを保護した。

通信手段を保護するだけの知能を持っていると判断した竜宮城は、浦島太郎の意識をナローバンドによって竜宮城へとアクセスさせた。この過程は彼には理解できない事象だったらしく、亀によって海底へ連れて行かれた、とされる。もしかすると彼は特殊な感応能力の持ち主で、ナローバンド内を行き来する信号の中にさえ知覚を宿らせ、あたかも海の中を身体ごと移動したように感じ取ったのかもしれない。

竜宮城へと招かれた浦島太郎は、彼の認識できる形で竜宮城をとらえ、そう、このとき竜宮城に竜宮城という名を与えたのは彼だ。そうすることによって様々な知的刺激や竜宮城との対話を、「たのしいひととき」という好ましい体験として記憶した。

しかし、竜宮城は知的生命体のレベルを低く見積もりすぎていたし、ならびに、ナローバンドで浦島太郎の意識を送受信するのはかなりの無理があった。具体的にいうと、彼の意識は端的な形でのみ竜宮城に送られ、彼の残された意識と肉体は通信中にも関わらず夢遊病のように活動を続けてしまったのだ。

竜宮城の演算速度は光を超える。つまり地上での彼の意識と、竜宮城での意識の間にウラシマ効果が発生した。ちなみに、ウラシマ効果、が先であり、この現象による被害者に、竜宮城がウラシマ太郎、と名付けたのが後である。彼の本当の名は保安上、全ての該当する記録から削除されているし、誰にも閲覧することはできない。たしか「太郎」という名前だったのでウラシマをくっつけてやったという、いささか雑な命名であったようにも思うが、記録が無いので明言はできない。

浦島太郎が地上での生活を続けているあいだ、彼の人格の不完全なコピーは竜宮城で地上より遥かに遅い体感時間を過ごしていた。

そしてそのことを考慮しなかった竜宮城は、その不完全なコピー人格を、地上にいる、年老いた浦島太郎へと統合した。

彼は混乱した。ほんのすこしのあいだ、竜宮城で遊んでいたと思ったら、気が付くと自分は老人になっている。彼はショックのあまり前向性健忘を発症し、自分はまだ若いのだ、という記憶のみを頼りに生きていこうとした。

しかし竜宮城は気が利かない。コンタクトを取った知的生命体が現実を正しく認識できていないことを、自らの技術的不備と捉え、彼を治療する。彼の姿と認識が一致するように、玉手箱やら煙やらといった映像を彼の網膜に投影し、それがどういう作用をして彼の姿を今のように変えたか、という理解を脳に送り込んだ。かわいそうな浦島太郎。

 

 かくして竜宮城と知的生命体とのコンタクトは失敗に終わった。竜宮城にとっては成功だったのかもしれないが、彼らがそれ以来ずっと海綿動物としか接触を図っていないのは、もしかすると浦島太郎に対する罪悪感があってのことなのかもしれない。