ドーナツ、コール
コール。
眠りかけた私の耳元に鳴り響いた、控えめな呼び出し音に頭を上げる。
ずれてしまっていたヘッドセットマイクを調整する。よし。
応答。
「はい。こちら自殺ストップセンターです」
「こんにちは」
「はい、こんにちは。本日はどうされました?」
「いえ、それが」
男性は言い淀み、しばらく押し黙る。
「なにか、言いづらいことでしょうか」
「言いづらくはないんです、ただ、どう説明すればいいか」
「もしよろしければ、最近の生活について、近況など、なんでも良いのです、いま悩んでいることの代わりに、話せることだけを話してみてはいかがでしょう」
「近況、ですか」
センター内は静まりかえっている。それもそのはず。今は受付時間外なのだから。それでも時折、夜更けに掛かってくる電話に応対できるように、と私が詰めている。別にボランティアという訳でもない。今は他のセンターでも同じように夜勤が常態化しつつある。それだけ最近は自殺が多い。あまりにも。
「それが、その、変な話なんですが」
「はい」
「近況が、無いんです」
全国の自殺ストップセンターが次々と消えている、らしい。
らしい、というのは、消えたとされる自殺ストップセンターが、庁舎のどこを探しても見つからず、そこに勤めていたとされる人たちもまた、どこを探しても見つからない上、そもそも誰が消えたのか、誰も知らないために、そう形容せざるを得ないのだ。
雲をつかむような話、ではあるものの、設置したはずの自殺ストップセンターが、いつの間にか消えている、といった通報が途切れることなく続くため、ついに警察も重い腰を上げざるを得なくなった。そもそも警察の領分なんだろうか?
誰が失踪したのかを調査し、失踪者とおぼしき人物の家族や友人から聞き取りをし、と捜査だかなんだかよくわからないことをしているうちに、今度は捜査員たちが、物証が、参考人が、次々と消えていった。それもまた、消えたのかどうか定かではなくて、なんら痕跡が無く、そういった人物が本当に居たのかどうかも分からないような有り様で、そうこうしているうちに、気が付くと捜査本部は消えていた。
普段、不真面目でもない俺が、どうも身が入らずに放ったらかしていた間に、随分と早く撤収したもんだ。そう思いながら、綺麗に片付いた会議室でぽつねんと一人立っていると、捜査本部だけじゃなく、なにか、とんでもない規模で何かが消えてしまったような気がしたが、何も確かめる当てがない。
なんとなく空腹を覚えて、会議室を出る。駅前のドーナツ屋へ行こう。刑事といえば、ドーナツの紙袋を片手に、まずいコーヒー、という憧憬のような思い込みが昔からあって、そういえば、そんな理由で刑事になった時点で、俺は不真面目だったのかもしれないな、と、一人で笑う。
誰も居ない廊下を。声を出さずに。笑いながら歩いていく。