映画『ブルーに生まれついて』を観た感想

 映画『ブルーに生まれついて』を観てきました。

映画『ブルーに生まれついて BORN TO BE BLUE』オフィシャルサイト

 

 ジャズ演奏家チェット・ベイカーの”半”伝記映画で、彼の生涯に実際に起きたこと、結局訪れなかったこと、と事実と創作を織り交ぜて構成された作品。劇中の演奏シーンでは、チェットを演じるイーサン・ホーク自らが歌い、トランペットを吹いている。

 

 監督のロバート・バドローはチェット・ベイカーの大ファンで、今作以前、既に2作の映画を撮影しており、

(2004年の『ドリーム・レコーディング』、1940年代を舞台に華やかなジャズシーンの裏側で起こる殺人や麻薬の売買を描いた短編映画で、チェットにまつわるエピソードを織り交ぜている)

(2009年の『チェット・ベイカーの死』、1988年アムステルダムのホテルの窓から転落死したチェット、その死の謎に迫る作品。この映画でチェット役を演じたスティーブン・マクハティが、『ブルーに生まれついて』ではチェットの父役を演じる)

その2作品の制作中に新たに監督が知りえたチェットのエピソード、深まったインスピレーションを元に、満を持して制作されたのが、今作、『ブルーに生まれついて』になる。監督のチェット・ベイカーに対する熱意、チェット伝記映画の集大成とも言える。

 

 とにかくひたすら画が痛々しくてかっこいい映画でした。チェットは幼少期に前歯を一本欠いていて、トランペッターとしてのハンディキャップになるそれを逆に持ち味にすることで乗り越えていたんですが、23歳頃からヘロイン中毒になってしまい、その後に麻薬関係の喧嘩で残りの前歯をほとんど折られ、トランペッターとして再起不能に追い込まれてしまいます。

 それでも吹くことを辞めない。まだ治療の途中で止血も満足にできていない状態で、バスルーム、バスタブの中に座り、痛み止めのメタドンを服用しながら必死にトランペットを吹くチェットの口から止めどなく血が溢れてくる。溢れだした血はトランペットの水抜きやベルからも容赦なく噴き出して、彼もバスルームもトランペットも血まみれになっていく。必死に痛みをこらえ、満足に演奏ができないことに苛立ちながらも、泣くでも怒るでもなく吹き続ける。壮絶な練習シーンでした。

 この映画はひたすらワンシーンワンシーンの撮り方がかっこいいんですよ。ジャズ界の寵児の没落と再生の物語なんですが、映画全体にむせ返る青春と衝動は完全にロックそのものでした。これロック映画なんじゃないか?いや私がジャズに対して抱いてたイメージが、おとなしくてオシャレ、みたいなステレオだっただけで本来こういうものなのか?

 

 ヘロイン中毒から抜け出せないし融通きかないしで世話のやけるチェットを、恋人、かつての古巣の元社長、保護観察官、プロモーターが導いて、やっぱチェットのこと放っておけないよね、と優しく見守って更生させていく模様のヒューマンドラマもすごく良かった。良いからこそ、彼らの期待を裏切ってしまうチェットの悲哀が際立っていきます。

 

 よくある薬物中毒モノ、更生モノ映画、または今作のようなジャンキーだった人物を題材にした伝記映画によくある、「薬物=絶対悪」「薬をやめられない=心の弱さ」という価値観、描き方は、基本的にそれ一辺倒になってしまう傾向があると思います。

 今作はそうではない。それは主演のイーサン・ホークの演じ方に強く表れています。

確かに薬物中毒によって心身を蝕まれ、事件を起こし、家庭や人間関係を破壊してしまうことは悲劇だし、薬物の乱用が社会的に認められるものではない、というのは確かだと思います。問題は、なぜ、薬物中毒者は、薬を求めているのか、薬物中毒、という状況の下に、その人の、どんな姿がそこにあるのか?を、これまでの様々な作品はあまりにも疎かにしてきたのではないか?その人自身の本来の飢えや渇望を、表面的な"ジャンキー"、"薬物は悪"で覆い隠すことによって、無視しているのではないか、という違和感をもって、彼はチェットを演じています。

 「薬物中毒者の素面」を描いた映画として、かなり意義深い作品なのではないでしょうか。

 

 実際のチェットの生涯と照らし合わせて、極限まで美化され、チェットに優しい世界に作り替えられたような今作を観終わったあと、「これでも美化であって現実のチェットはめちゃくちゃ悲惨でひどいんだよな……」と思うと結構クるものがあったのでこちらも勧めておきます。

終わりなき闇 チェット・ベイカーのすべて :ジェイムズ・ギャビン,鈴木 玲子|河出書房新社

 

 今年の映画で一番好きでした。好きなとこまだ全然語れてない。

 

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