最近観た映画と、最近読んだ本と、最近買ったプリンターの感想

映画の感想。

 『シン・ゴジラ』を観た。全体的に画面が片付いてて白くてきれいな作りだと感じる。音楽の使い方に敬愛とオタク根性がある。オタク根性、っていうのは内包されうるものは色々あるけれど、この場合は”著作物同一保持性遵守”みたいなものを指す。それが敬愛のひとつの形でもあるだろうし、ゴジラに対する思い入れか、もしくは逸脱していく作品をゴジラの枠に繋ぎとめるための道具としての音楽だった。収まっていた、と思う。

 

 『ティファニーで朝食を』を観た。ワンショット、ワンシーンが焼き付く、という印象の強い部分のメリハリが良くて、想像以上ににぎやかで楽しい映画だった。もっと古典に位置づけられる映画を観たい。

 

 『君の名は。』を観た。ミュージックビデオみたいな映画だったなと思う。舞台、人物のスイッチと、音楽と映像の切り替え方、というところで、ガイ・リッチー監督の初期作品にも通じるものがある。ふたりぼっちの群像劇?を作るのに入れ替わりはスピード感を持たせられるガジェットなんだろう。

 

 『この世界の片隅に』を観た。この映画の中心、根幹、本質、は一体なんだろう?と考えると、それがどれなのか判断に迷う。戦時下であること、ではないし、広島、でもないし、一人の女性の人生、生活、が近いようで、でもそこに集約してしまうには、こぼれていくものたちの比重が重すぎる。そもそもタイトルが中心ではないのだ。あの山の裾野がウチらの家じゃけ。そうなのだ。この世界の片隅に、裾野に、目を凝らしても見えないけど水平線の向こうに、選ばなかったから思いを馳せることしかできない自分の人生のもしもの向こうに、そして今自分がいる場所に、そして今自分がここ以外の場所にはいないように、普遍的であることは局所的なのだ。普通に生きるってすごい大変、みたいな、そういう月並みな言葉にすると、またなんか違う。なんか全部違うんだよね。ふつうの映画、いい意味でふつう、と評する人が多くて、私もどこかでそう思いつつ、そうじゃないとも思う。ひたすら割り切れない。小数点以下のケタが無限に続いていくような映画だった。

 

 

本の感想。

 『居心地の悪い部屋』を読んだ。読んだあとに喉に小骨がひっかかるような読後感の悪さを詰め合わせた短編集。読後感の悪さ、は細分化すると、「読後感は悪いけど、読み終わったことによる解放感」、「読後感の悪さが、読み終わった後も自分を捕え続ける」、「読後にほほをつねりたくなる」があって、読んだことによって自分の身体感覚や倫理観がどこか遠くへ浮遊していって戻ってこなくなったような、もう自分は生身の人間じゃないような、現実感の喪失を与えるものがある。たぶん、読後感の悪さ、というもの自体が、読み終わったあとの読者の現実帰還速度が遅くなること、じゃないかと私は思う。この短編集は割と早く帰ってこれます。遊園地にある、あんまり怖くない小さめのジェットコースターの楽しさに近い。

 

 

プリンターの感想。

 

  TS8030を買った。10年振りにプリンターを買い替えたので、印刷速度の速さと機能の多さに慄いている。今までは印刷ボタンを押して紙が出てくるまでのあいだにコピーを諦めて近所のコンビニまで行ってコピーしていたのに、今は印刷ボタンを押したらすぐに紙が出てくるのでコピーを諦めることがなくなった。古いプリンターはスキャナーのレールが錆びていて、スキャンするたびに文明の滅びる音がしていたのに、TS8030は滅びない。