もう冗談も伝えづらい、俺も終わっちまってるし

 アメリカの選挙の時期によくテレビで流れている光景で、「スーパーマーケットの広い駐車場に停められた車を挟んで共和党支持者と民主党支持者が喧々諤々と議論している」というものがあるけれど、前から疑問だったのだけどアレは一体なんなんだろう?

普通に生活していてああいう形でVTR映えするような構図で議論が始まるんだろうか?それともテレビクルーが撮影にあたって注文をつけてる?市民も全員スタッフ?大統領選の時期なら街中でカメラ回しときゃ簡単に激論を交わす市民が撮れるなんてことがあるんだろうか……?「忌憚なく政治について意見を交わす正しく清い模範的市民」のイメージを前面に押し出しているので、社会科教材のように見える。なんなのか気になり続けている。

 

 

 体調が悪い。去年の今頃に肺炎で入院して、そのあとからずっと崩しがちではあったけれど、年末に帰省したときに耳に閉塞感を覚えてから、その耳の閉塞感が消えなくなって半年が経ってしまった。ずっと耳鳴りのような頭を締め付けるような不快感がある。中耳炎は治っているそうなので、耳管の炎症の痕か、耳石か、メニエール病か、精神的なストレスか、原因はなんだか分からないがとにかく苦しい。半年間ずっと耳が聴こえづらい、詰まった感じがする、というのが最大のストレスなので、これが原因でさらにひどくなっている悪循環だったりしたら嫌だなと思う。

 元から打たれ弱いほうだったのが、最近更に弱くなってしまった。すべてが応える。今年は色々とやりたいこと、やらなくちゃいけないことがあって、そもそも受験生なので勉強に専念したいのもあって、何はともあれ耳を治したい。

 

 しばらく文章を書いていない。言いたいことが何一つ言えなくなって黙り込んでいることが増えた。ひたすら書きまくる、喋りまくるタイプだったと、すこし前までの自分のことをそう憶えている。なんだか虚しい。何もできず臥せっているだけの毎日を送っているように思われてくる。実際にはそんなことはないはずなのに。幸せなことや楽しいことが半年間たくさんあったのに。がんばれるようになったはずなのに。人生が大きく動き出したのに。気持ちも身体もついてきてくれない。またすべてを諦めているような気分になる。

 

 落ち込んだり持ち直したりを頻繁に極端に繰り返していることにも身体が耐え切れなくなっている。もう全部だめだ、大丈夫なんとかなる、を切り替え続けて段々どっちも輪郭がぼやけてきて何がどうなって今自分がどういうテンションか判らない。元気があって、なんとかやれそうな時に、何一つ手につかなくて、具合が悪くなって倒れてしまう。

 

 それでも一番ひどかった時期よりずっとマシなんだ。成長や変化や克己が痛みや苦しみを伴う、みたいな一般論めいた教訓じゃなく、もうなにもかも溶けてぐずぐずになるような激痛を前にして私は生きてるし私なりにうまくやれてるわけで、これが成長じゃなくてなんなんだよ?まだやれる、もっとうまくやれる、なにひとつ実感は無くて心が折れたまま全部諦めて失望した状態で、その上でまだ積み上げていこうと思えてる、うそ本当は思えてない、でも強くそう願うんだ、強がりをほんの少しでも本当にするんだ、現状に何一つ納得いかないなら、そんなのは全部いらないんだ、心を折るような現実なんか消し飛ばしてしまいたい、どんなに何をどうやっても消えないで追いかけてきて首を絞めてくるクソ、クソ現実が邪魔だ、なんで俺こんなに現実の暗いとこ考えるかなあ、考えたくないし考えても気分が悪くなるだけなのにな、もっと自分を元気づけてくれる考え方が必要で、それは本当になんだっていい、だいたい一切合切が言葉の綾みたいなもんなのに気にしすぎなんだよ、厳密である必要なんかまったくないし誰も求めてないのに、なんで人を傷つけないように配慮しようとかするんだろう、誰もかれもエグいくらい傷つけまくってくるのに、どうせどっかで傷つけるなら優しい着地点を早めに探していったほうがいいのに、どうして後回しにしてこじれてしまうんだろう、表面的で浅いところでいがみあって終わらせて、どっか深いところでお互い冷静に優しく穏やかになれたらいいのに、ぎこちない、意識が、両手が、視線が、気分が、表情が、周りの人々が、会話が、ぎこちない、生活が、ぎこちなさが息を詰まらせてくる、もっと肩の力抜きなよ、って自分で自分に言い聞かせて奥歯が割れるくらい力が入ってく、誰にも自分にもぶつけられない怒りがぐるぐるする、心の中には対象との距離を測るレンズみたいなのがあって、それの焦点が合わなくなるとすぐ宇宙とか存在がどうとかって飛躍する安直な思考の形がある、身近なことがぼやけて宇宙のほうがくっきりするのは一種正常な反応かもねってよく思う、たぶんそういうとき思いっきり遠景じゃないと正視に耐えないんだよ、宇宙を見つめるような暗い瞳で親しい人や自分や実生活なんか見ちゃうと全部が台無しになるから、だから自然と遠く離れていく、そして何にもない虚空をしばらく眺めて飽きてくると焦点が戻って定まってくる、集中力なくてよかったね、って思う、もし集中力あったら冷たくなったまま戻ってこれないから、頭が悪くてよかったねって思う、結論が出なくて済んだから、まともじゃないとき考えたことなんて全部忘れたほうがいいんだよ、夜書いた手紙は封するな、に近くて、

でも人間なんてみんな夜書いた手紙じゃないか、一体いつまともなんだよ?