ストロー

 ファミレスのドリンクバーにストローが置いてあるじゃないですか。

赤いストローと青いストローの二色。小さい頃からよくあれをクジに見立てて、赤が出るか青が出るかを色んな物事の吉兆や選択の指針に使っていました。

5歳くらいから始めて、未だに心の中のおまじないのように、ストローを無作為に引くたびに、赤が出るか、青が出るか、とドキドキしているわけです。

あれに一つ、ずっと無意味な願掛けをしていて、それが何かというと、

「赤いストローが出たら女の子になれる」というものです。

この自分の中にあるルールがいつ決まったのかは覚えていなくて、でもストローの赤青でクジを始めた当初から、赤いストローが出たら女の子、と考えていた記憶があり、たぶんこのストローくじ習慣と同じだけの期間、女の子になりたい、という気持ちを抱えてきたことになる。

で、不思議なのが、「女の子になりたい」という気持ちが先でストローくじの赤にそれを託したのか、それとも、

「赤いストローが出たら女の子になれる」というくじのルールが発生したのが先で、ストローくじを続けているうちに女の子になりたい気持ちが芽生えたのか、定かではない、本当にどちらが先かわからない、というところなんです。

意外とストローくじの謎ルール制定のほうが先のように思えるんですよ。小さい頃のよくわからない思いつき。なぜそうなったかわからない規定。

赤を引くたびに喜んで、赤を引くことを願って、という繰り返しの果てに、もうストローくじとは関係なしに、常に「女の子になりたい」という気持ちを抱えるようになっていて、でも何一つ不自然ではなく自分自身の切なる願いとして、それはある。不思議。

 

最近は赤いストローを引いた瞬間や翌朝ふと目覚めると女の子に、という願いが空振りを続けて(空想が空振るとはなんだろう?)、諦めではないけれど堅実に行こうぜ、と、赤いストローを引くたびに女の子になる確率が0.0025%上昇、のような数値が視界の端に見えている。

スタックしていく少女の確率。