脳銀河

 痛みから逃れるために記憶を捏造して、作られた記憶と現実との齟齬を埋めるために情動も創りだして、記憶と情動に沿う形で行動原理や価値観を作って、色んなものを寄せ集めて縫い合わせて蓑虫みたいに包まって幸福なのかなんだか分からない妄想の中で過ごしてきて、そうしているうちに現実と虚構の区別は付かなくなって、いや付いてるんじゃないかな?付いてるとしても分からなくなったフリをして、それはそれなりに楽しくやってきたんだけど、それで得られる愉しさは非常に限定的で弱くて、努めて「これは楽しいことなんだ」と思わないと楽しめないために、何もせずにひたすら思い込みを展開し続けて、いつもいつも自分の耽っている空想の中の美しく完璧な幸福をトレースした作話記憶を保持することに労力を費やしてきた。ひとりで勝手に疲れて限界だと喚きながらそれ以外の方策を何も知らないから限界なんてのは疲労のサインの急を要さない一形態に過ぎず、幾らでも無視を決め込める。

どこかで自分の考えた応急処置から解放されたいと願っていた。噴き出す血の中で憩って、血を吸い上げては戻してまた出血して、手持ち無沙汰にならないように適度に傷ついて休んで、少しずつ疲弊していきつつも小康状態を保つ。いつか私は治って元気になるのだと信じながら何もかも全てとっくにダメになっていると諦めて、どっちつかずのまま好きなように振舞っていると思い込んで、本当はどうなんだろう?と考えても既に答えが分からないところまで来ていて、暗がり、柔らかくどこまでも耕された土の中を掻き分けて進み続けて終わることのない暗がりの中で幾らでも好きなように掘り進んで、しかし景色はひとつも変わり映えしない、そう、そういう感じなんだ、でもそれは全てイメージなんだ、

無根拠な屁理屈のとめどないイメージ、いま私は自己規定のイメージを視覚的に解釈して行動をなぞることで自己規定を覆すなり変化させるなりしようとしていて、こういった試みは過去に何度も例があってその全てが飽きっぽい私に捨てられてきて、仮に飽きずに続けてみてもいつのまにかイメージに取り込まれて、結局のところ自己規定の破壊は自己規定の延長線上にあって同種の作用だから、気を抜けばすぐに絡めとられて奴らの一部になる。

青は藍より出でて藍より青し、のように自己規定の破壊は自己規定の創造よりも創造に与していて、壊した端から余計な萌芽を次々と生む。まるで細胞の破壊が何度も繰り返されて再生がなされる度にガン細胞の発生確率を何度も引き当てていくような、起こりうるリスクを否定するべく何度もリスクを冒して結果的に発動するまで試行回数を設ける破滅的なやつを、もうやめにするんだ、私が試行回数を増やしてきた事柄は全て頭の中にある些細な攻撃のパターンで、自尊心を守るためにこそ死なない程度の一撃を加え続けて、どんな形でも否定してなお生き残ることで生きていると確認する労力があるなら、それだけの意志があるなら、執着の強さを他のことに向けられはしないのだろうか?

あらゆる手立てを尽くして試行回数を増やし続けて決して納得せずに猛進することが、その向かう先が、何か有意義で現実的な、私の頭の中で散る火花じゃなく、私の目の前に広がっている机や紙やパソコンと干渉する手と瞳、それらが捉えるあらゆるすべて、そちらへと私は執着できないのだろうか?できると信じたい。どうやって何かを強く信じる?何かをするってなんだ?

明確なはずの意志はなんとなくの嫌だなあ面倒くさいなあの強さに負けていく。おそらく色んなことを億劫がる情動は捏造だけではなくて元から備えていたものが非常に強い。原始的なものぐさと捏造した無気力が合わさって途轍もない腰の重さを発揮していて、あいつは本当に重たいよ、私が知っている困難の中で一番重たいのは純然たる私の困難で、なんにもしたくないってことだ。なにもしたくない私がどうしてか色々なことに手を出しているのは本当に不可解で、最近は毎日なにもしたくないのに毎日のように何かに向かい続けていて自分は完全におかしくなってしまったのかと訝しみながら、何か行動している状態は健康的で素晴らしいから、死んだように眠り続けるより楽しくてマシだから、となだめすかして、でも私は自分の楽しさや理屈が何一つもう信じられない。いいんだ。信じる必要がある出来事なんて求めちゃいない。

なにもしたくない。なにもかもしたい。両立することができないなりに双方を聞き入れて折衷して、どうにかして、どうにかするんだ、どうにかしてよ、するよ、泣き言を言える相手をたくさん私は知っているはずだ。両耳の間に、口蓋の上に、はたまた書き連ねた文章の続きに、私の抱えている混乱を全て了解して親身になって何もせずに奇跡みたいに光を灯す信号の群れが現れる。