君の目は光を拒むんだ

 遠くで電話が鳴っている。あたりは真っ暗で、まだ真夜中だろうと思う。手探りで目覚まし時計を探り当て、上のボタンを押してライトを付ける。午前二時。こんな時間に誰が電話をかけてくるんだろう。非常識なやつだ。放っておこうと思ったが、いつまでも鳴り続けているので、のそのそとベッドから這い出して電話へと向かう。誰が何の用事でかけているにせよ、あまり出る気がしない。このまま電話線を引っこ抜いてやろうかと思った。明かりをつけないまま寝室を出て、リビングの闇の中でオレンジ色に光るナンバーディスプレイを見ると、知らない番号が表示されている。おそるおそる受話器を取る。

「いま友達の電話借りててさ」

弟だった。

「この時間に何?」

苛立ちながら聞き返す。

「今日は帰らないから」

「深夜に人が寝てるときに何?ばかなの?もうちょっと早い時間に連絡するかメールで済ますかしろよ」

「あーはいはい」

眠気と怒りのあまりに言葉が出なくなったので、受話器を置く場所に設置されている、終話ボタンを指で押した。受話器をセットすると重みで押されて通話が終わるボタンをわざわざ人差し指でグッと押し込んで通話を切るとき、だいたい私はものすごく機嫌が悪くて、その機嫌の悪さ自体も終わらせて区切りをつけてやろう、という儀式のように、あのボタンを押すのだ。その後で受話器も置くんだから二度手間だ。

終話ボタンが押されて、ナンバーディスプレイのバックライトが消灯したあと、指を離したことで「受話器が持ち上げられた」と認識した電話機が、またバックライトを点灯させて、受話器を置かれてまた消える。リビングは元通りの真っ暗闇になった。電話が鳴り止んだことで静かになり、逆になんだか眠気がどこかへ行ってしまう。神経がざらざらする。それでもなんとか眠りに就こうとベッドへ戻る。

まだ自分の体温のぬくい感じが布団の中に残っていて、そこに再び横たわることに安心感と嫌悪感を足して二で割ったような言い知れない感じを覚える。なんだか気が狂いそうなほどに疲れが押し寄せてきた。眠るのには少しばかり体力が要る。今はもうその体力すらない。

疲れたまま目を閉じて横になっていると、よくわからない思索と空想が広がっていく。

生と死の比率。私が元気なとき、私は生の割合が100か99くらいで、私が風邪を引いているとき、生の割合が70、死が30くらい。

常に生きている自分と死んでいる自分を重ねあわせて存在していて、その両方が比率を変えながら現れている。最後には死の比率が100になって、もうその比率が動くことは無くなるんだな、と思うと、比率が忙しく変動し続けることの大変さは一体なんなんだろう、と面倒な気持ちになる。かといって死の比率100の状態の自分になりたいわけではない。その状態が望ましいなんてこともない。できれば生の比率100でずっと行動できれば、もし叶うならば永遠にそのまま元気でやれたらいいのに。

風邪に限らず、やりたいことができない、行動が起こせない、というのも広義の死、死の比率の上昇だ。だから、行動ができる、何かに干渉できる、そのことこそが生であって、ただ身体が生きて動いていて脳に酸素が届いていたって、死んでいる自分と生きている自分の行動が全く同じものになってしまうなら、それは差異を生み出せていない時点でダメだ、と思う。別にダメでも良いんだろう。よくない。

私は、私がダメだと思ったことを拒みたい。拒みきれない弱さがあって、なお強くそう望む。

死んでいる私はどうなんだろう?死は何を拒むんだろう。何も拒まずそこにあるのが死であって、死は状態の変化が生じない状態そのもので、でも死は何かを受け入れるわけじゃない。

死んだ私の目に光は届かない。そこにある網膜は何も映さない。君の目は光を拒むんだ。拒絶ではない拒絶。もう反応しなくなってしまった、という拒絶。

 

 

眠れないまま朝を迎えてしまった。悲鳴をあげそうになりながら起き上がる。疲れているのでカーテンを閉めたまま支度をする。眩しいのは嫌いだ。疲れているときは特に。