とりあえず分厚い肉を焼く

 分厚い肉はいいぞ。分厚いからな。

焼いている最中も切り分けるときも「肉が分厚い」ってだけで楽しい。

 

 

 

分厚い肉を食べて元気になったので変化していきます。

変わらなきゃと何度も何度も思って、つたないアプローチで色々やったり、やらなかったりしたけど、結局のところ自分で納得のいく変化が自分に訪れていない。生活の中には今と同じような生活を続けるための材料しかなくて、そんな生活が嫌だと言いながら、でも今と全く違う環境に身をおいて自分が今までしたことのない生活を送っていくことが億劫で、面倒くさくて、そうであることが分かっているから、そんな自分も嫌いで、あらゆることにイヤイヤとかぶりを振って停滞し続けているのが苦しかった。苦しいくせに、別に苦しくても死にはしないから、動機が弱かった。納得なんか別にいかなくても生きられる。

 

がんばれる理由が一つもない。これまでそうだったし、これからも同じだ。理由がない、動機がない、ただひたすらに虚しい、という、そこにぶつかるたびに、進める先も見つかるものもなくて、宙に浮いたような状態で、なんだろう、私はずっと、どうなっていたんだろう。どうにもなっていなかった、と思う。

理由がどうしても無いので「理由がなくても行動できる」と思って手当たり次第に色んなことをしてみたけれど、やればやるほどに虚しさが募ってきて、でも行動しない理由もなくて、何をどうする、という主体がないまま、自分で選んだはずの行動に急かされるみたいに動いていた。何も感触がない。

濁ったガラスの壁の向こう側に世界の全てがあって、指の感覚がひどく遠くて、視界は狭くて、空気が肺に届かなくて、年を経るに従って、私はどんどん遠ざかっていくみたいな、そういう、どうしようもない感じが常にある。

 

濁ったガラス越しに見えている色んなものに、それなりに焦がれていて、いつかそちらに帰還するんだ、と望んでいた。帰還、というのは、昔はそういう感覚はなくて、私もあなた達と、世界と同じ場所に居たのだけど、いつの日だろうか、8歳くらいだったと記憶している、突然、指先の感覚が薄く遠くなってしまって、気が付くと濁ったガラスによって私と私以外の全てが隔たれていた、という始まりがあったからだ。

なぜそうなったのかは分からない。特別なことは何も無かったと思う。なんの変哲もない普通の日に、ガラスはいきなり挟まれた。

それ以来ずっと息苦しい。実感を取り戻そうとあがき続けてきた。指に血が通う日を私はずっと待っていた。

 

もう待つのをやめることにする。この濁ったガラスは私の前から消えそうにない。指先はどこにあるのか分からない。永遠ではないかもしれないけど、実感は私から、なぜか失われてしまった。取り戻すための行動には全て実感がなくて、そもそもどうすれば取り戻せるのか、皆目見当がつかない。それでいい、とは思えない。

でも。

何をやっても虚しくて、充実感や達成感がなくて、挫折にすら情動が伴わなくて、あらゆる物事に現実感がない、という状態が変わらないのなら、それを変えようとする努力を維持する必要はどこにもない。最初から理由も必要も動機も理想も何も無いのだ。現実さえ無い。手に負えないことは負わないことにしよう。いつか、やってきた時と同じように、前触れもなく濁ったガラスが取り払われて、そちらに帰る日が来るとして、それまで私は無軌道に暴れまわってやろう。何もかもどうでもいい。発散できないフラストレーションを貯め続ける一方で、爆発も許されないなら、爆発の代替を無限に用意してやる。その責任を取るのは帰還した私だ。できれば、帰ってきたときに、幸せにしてやりたい。