疲れるほど死んでるんだ

 自分がおかしいのか相手がおかしいのか定かでないが、

「さっき、首がありえない方向に曲がってましたよ」と指摘されて、いや、そんなはずはないだろう、でも、どうなんだろう、自分の身体も、この人の精神も、どっちも信用ならない、困ったな、と悩まなくていいことを悩んでいる。聞かなかったことにして忘れたい。

この場合は「私の周囲の大気だけ光の屈折率がおかしかった」という解が誰も傷つかなくて済むし、是非そうあってほしい。

 

状況説明や物事の順序を頭の中で組み立てられなくなってきて、それは今までも組み立て下手だったのだけど、話したり書いたりしながら整理して、ようやく人に伝わるところまで持っていけたものが、最近は全く持っていけなくて、ひどく神経が弱っているのを感じて、それがまた気が滅入るのだ、呻きながら倒れ伏すような、落胆と虚脱の波だけが頭の中にあって、おおよそ言葉になるような形ある意識は、もう無い。

 

人間は皆ひねくれていて素直で純真な輩は自分だけじゃないかと思えてくる。自分も人相応にひねくれているのだと勘違いしていた。こういった考えも妄想だなんだと片付けられてしまうけれど、でもどうしようもなく真実で、人間は器用すぎるし、私は不器用にすら漕ぎ着けることができない。

 

現実が私を矮小化する。正しい認識というのは、どうしてもそうなってしまう。

療法が私を誇張する。正しさよりも健やかさを選ぶために。

ただどちらも白々しく感じてしまう。そしてどちらも私の支えにはならない。