あらかじめ錆びた子供のために

 

 

 

 01

 

 身体が冷えていく。

ぼくの身体はたんぱく質だ。今では貴重な、有機物の、生身の、正真正銘、生身の、生まれついての身体。

語弊があるかもしれない。

本当に生まれついての身体なのだろうか。ぼくはいつ生まれたのだろう。

ぼくが生まれたときにこの身体があったのではなくて、この身体にぼくが生まれたのではなかっただろうか。

よく思い出せない。ぼやけていく、意識。

失われていく血量に比例して、ぼく、もまた少なくなっていく。

最後に、ぼくは、ぼくの、はじまりを、思い出そうとする。

 身体が冷えていく。

 

 

 02

 

 「おはようございます、はじめまして」

声が聞こえる。

ぼくはそのとき初めて声を聞いた。

初めて聞いた声の、言葉の意味を、ぼくはすんなりと理解していた。

だから、本当は、初めてじゃなかったのかもしれない。

「聞こえますか?聞こえているなら、返事を」

「聞こえるよ」

ぼくはそのとき初めて喋った。

これも同様に、初めて喋ったというのに、いつも喋りなれているかのようだった。

こうやって、初めての経験を、初めてだと認識して、なぜ、ぼくは聞いたことも喋ったこともない言葉がわかるのだろう、とか、そもそもこの思索、それに要している言語中枢、その全てがどうして備われているのか、ということを、堂々めぐりに考えているうちに、なんとなく、ぼくは、ぼくという意識を、こうやって自分自身で、確かなものにしている最中らしいことが分かった。

「ぼくは?」

質問するつもりはなかった。この質問自体も、ぼく、を、ぼく、にする儀式の一環なのだろうと思ったので、特に言葉は続けずに返答を待つ。

「あなたは」

声が響く。そういえば、この声は、どこから聞こえているのだろうか。あたりに人影は見えない。

広くて清潔な、静かな空間。特徴のない部屋。機能を優先させたであろう、それでいて不自然さのない壁や床。

「あなたは、この施設の管理者です」

「管理者?」

どういうことだろう、と疑問を抱く時間は与えられなかった。

ぼくの中で、ぼくが今いる場所、施設という建造物の概要や、それを管理するにあたっての自分の業務などが、既存の知識として、次々に思い出されてくる。

思い出されたのだろうか?確かにぼくの中に、どうしてかは知らないが、元々その知識はあったのかもしれない。

しかし、ぼくの中の、管理者としての知識を、ぼく自身の役割として、明確に位置づけ、引き出したのは、この声であったように思われた。

なんだか、気分があまりよくないな、と訝しむ。この声に対する印象はあまり良くない。

むしろ声としては印象のよい部類に属するのだろう。柔らかくて澄んだ、緊張感も警戒心もない、人懐っこいような声。事務的な調子も、無機質な感じも、なにもない、相手を不快にしないことだけを目的に生み出されたような声だった。

それでも、その声は、ぼくを、ぼくとして規定し、状況を確実に理解させようとしてくる。それだけで充分、いやな感じだった。あたまのなかを弄られているみたいだ。

「当施設は、外的環境の変化へと適応するにあたり、生きている管理者を必要としました」

声は続ける。

「より厳密に言えば、生きている管理者ではなく、意図的に、もしくは意図せずに選択を間違えるだけの高度なシステムを備えた管理者が必要でした。そのために、当施設はあなたを製造しました」

「意図的に選択を間違える?」

「そうです。我々にはそれができませんので」

「はあ」

「詳細の説明が必要ですか?」

「いや、いい」

だいたい、というか、ほとんどのことは理解できた。要するに、ぼくは、この施設が自律的に、自律するために生み出された管理者というわけだ。意図的に選択を間違える、の一種侮蔑的なニュアンスに関しては、正直なところ難色を示さないでもないが、そのためにぼくが生み出されたのなら、ぼくはそれを果たせばいい、それだけの話だ。

「あ、ねえ、ぼくの使う生活空間や設備などに関する情報、ぼくの中にないよ」

「それに関してはこちらで案内いたします」

草食動物は外敵に襲われないために、生後すぐに歩き出すのだ、という逸話を思い出しながら、ぼくは自分の仕事を果たすために歩き出した。