拙考

自分の詠んだ短歌についてあれこれ考えていたことを書く。

 

友達の友達は友達でないように フルーツ味の味のするグミ

 

このままだと、「友達の友達は友達でない」事と、「フルーツ味の味のする」事の対比が、直接的になりすぎてしまって、すこしうるさいように感じられたので、「ないことを」という表現を用いる。

 

友達の友達は友達でないことを フルーツ味の味のするグミ

 

この「ないことを」という表現、とくに「~ことを」の部分が、ここに示されているものではない部分、記されていない空白に係ることで、「友達の友達は友達でない」と「フルーツ味の味のするグミ」の二つを繋げてくれる効果を期待した。

 

友達の友達、というものが、「(これを語る誰か個人にとって)友達でないこと」、フルーツ味の味のするグミ、が「フルーツ味の味、であってフルーツ味そのものでないこと」、ただそれだけの事柄を、「ことを」という、どこにも係らず、結んでいない言葉によって浮き彫りにされた「空白」が、二つの事柄に関連性を持たせ、また言外の含みをそこに引っ張ってきてくれる。詠み手の私にとっては、であって、この短歌を読んだ人が、それを感じてくれたかどうか、に関しては私が勝手に想像するしかない。

 

言い回しを変えることによって、モチーフとモチーフの間にある距離や関係をどれくらい動かすことができるだろうか。そんな試みでした。